コラム
敗北の浅田真央、栄光への旅立ち (2/2)
宿敵と歩み続けたスケート人生
■互いが存在したからこそ進化できた二人
結果、浅田はトリプルアクセルをショートプログラム(SP)と合わせ計3度跳びながら、準優勝、銀メダリストに。
もしこの世にキム・ヨナがいなければ、彼女が金メダリスト――。そう考えると、浅田はある意味ラッキーだったな、と思う。それは06年、2度目の世界ジュニアにて、彼女が初めてキム・ヨナに負けたのときにも思ったことだ。その時の浅田はSPとフリーでトリプルアクセルを計2回跳んだが、演技全体に精彩を欠き、キム・ヨナがいなければ無難な演技で優勝してしまうところだった。そこに立ちふさがったのが、浅田にはない大人の演技力をすでに持ち、質の高いエレメンツの連発で浅田を上回る高得点をたたき出したキム・ヨナ。彼女に敗北したことで、浅田は得意のジャンプ以外ももっと強化しなければ、と気づき、ステップや音楽表現にも秀でたスケーターに時間をかけて成長できたのだ。そしてそのとき、1試合で2度だったトリプルアクセルも、3度跳べるまでに進化させてしまった。
そして4年後、バンクーバー五輪。キム・ヨナがいなければ、浅田は文句なくバンクーバーを制していた。しかし、ハイレベルなアクセルジャンパー以上にエレメンツの質の高さで点数が出せるスケーター、よりうまいスケーティングで見せるスケーターがこの世にいたことで、浅田は再び銀メダリストとなる。
トリプルアクセルを3回も跳び、それでも世界を制することができなかった――悔しいだろうし、やるせないだろう。しかしこれで浅田は、キム・ヨナを越えるために、もっともっと進化しなければならなくなった。
15点という点差は、たとえ後半に続いた2つのジャンプミスがなく、完ぺきな演技をしても埋まらなかった点差だ。五輪を終え、一息ついた浅田は、きっとこの後、トリプルアクセル以外の部分でいかに得点を上げるか、さらに魅力的なスケーターになるにはどうすればいいか、4年後に向け、きっと努力も研究もしてくるはずだ。4年後には必ず、この日のキム・ヨナを越えるスケーターになって、浅田真央は五輪に帰ってくるはずだ。
思えばキム・ヨナの方も、浅田がいたからここまでのスケーターに進化した、そのことは、間違いない。ジュニア時代に2連敗し、そこから浅田を越えようとコーチを変え、技術も表現においても様々なスキルを磨いてきた。08年韓国のGPファイナルにて、浅田にトリプルアクセルを2回跳ばれて敗れて以降は、もし浅田が同じジャンプをこれから跳んできても、その点数を上回れる対策と練習をしっかりしてきた。
二人のメダリスト。浅田真央がいたから、今のキム・ヨナがいる。キム・ヨナがいたから、今の浅田真央がいる。お互いにとってこれ以上の幸福はなかったし、私たちフィギュアスケートファンにも、進化し続ける二人を見守るという最高のぜいたくを、提供してくれた。
「あ、この子とは、ずーっと一緒にスケートやるんだなあって思ったよ」
この言葉を口にした時、浅田は「この子」とともに5年後、自分がここまで素敵なスケーターとなることを、予想していただろうか。
そして今、五輪銀メダリストとなった浅田真央。ここでキム・ヨナに敗れたことを機に、4年後にはさらに強く、さらに美しいスケーターに自分がなっていることを、今の彼女は、知っているだろうか。
青嶋ひろの静岡県浜松市出身、フリーライター。02年よりフィギュアスケートを取材。昨シーズンは『フィギュアスケート 2010─2011シーズン オフィシャルガイドブック』(朝日新聞出版)、『日本女子フィギュアスケートファンブック2011』(扶桑社)、『日本男子フィギュアスケートファンブックCutting Edge2011』(スキージャーナル)、『フィギュアスケートファン』(コスミック出版)などに執筆。著書に『バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート 最強男子。』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』(角川書店)などがある |


