愛馬と一緒なら、素晴らしい演技ができる
――五輪での競技について教えてほしいのですが、演技の構成は決められているのですか
団体戦と個人の1次、2次予選(※1)については、決まった運動を決まった順序、ポイントで演技します。決勝だけは、決められた運動要素を取り入れて、それを音楽に合わせて自由に演技します。フィギュアスケートのフリーの演技をイメージしてもらえれば、分かりやすいかもしれません。
――馬場馬術の見どころは?
やはり、一つ一つのテクニックがどれだけ正確に、円滑に行われるか、ということでしょうね。
――馬術という競技をずっと続けていらっしゃいますが、競技者として、筋力トレーニングなども必要なのでしょうか
とても大切ですよ。馬に乗るのに必要な筋肉というものがいくつかあります。例えば、大胸筋などの胸をしっかりと持ち上げて支えておく筋肉、そして腹筋や背筋です。主にそうした筋肉のトレーニングやメンテナンスは常に心掛けておく必要がありますね。あと大事なのは、平衡感覚。それを衰えさせないようにしておくことも、競技者としては大切なんです。こうしたトレーニングを、日常的に1時間程度、行っています。
――現在、一緒に五輪を目指しているウイスパーという馬は、ドイツで生まれ育ったのですか
そうです。もともと、知り合いの友人というような関係の人が持っていた馬なんです。その方がしばらく馬には乗れないということで、「その間、この馬に乗ってみてはいかがですか」という話をいただいたんです。それで実際にドイツで乗ってみたら、これがなかなかいい馬だなって思ったんですよ。
ウイスパーは11才の牝馬です。馬というのは数え年で年齢を言うんですよ。やはり競技として考えた場合に、その運動能力の高さが優れていたんですね。この馬と一緒なら、素晴らしい演技ができるという可能性を感じさせてくれました。
――実際にウイスパーとの出会ったのはいつですか
2006年の12月ですから、出会って1年とちょっと、というところでしょうか。そのような短期間のトレーニングによって、北京への出場権を獲得できるような演技ができたというのは、やはりそれだけウイスパーには、高い運動能力と理解力があったという証しでもありますね。
北京では、個人の第一次予選は突破したい
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| 貴族の正装を踏襲しているという、馬術競技のコスチューム【Photo:アフロスポーツ】 |
――競技の時にシルクハットとえんび服を着用するというのも、乗馬ならではの特徴ですね
そもそも、シルクハットとえんび服というのは、昔の貴族の正装です。馬が移動の手段だった時代の姿を、そのまま踏襲しているわけですね。今でも、とくに乗馬用に作られたスポーツウエアとして開発されているものではなく、昔ながらのえんび服とシルクハットを着用して競技に出場するんですよ。
――馬場馬術では、馬のたてがみもドレスアップするところがユニークです。あれは、競技者が施すものなのですか
ライダー自身がやる場合もありますし、グルーム(馬の世話をするスタッフ)がやる場合もあります。ウイスパーは、グルームがやってくれるんですよ。特に競技や種目によって変えるということはなくて、大体いつも同ような編み込みスタイルですね。
――馬場馬術では、世界的にどこが強豪国なんでしょう
ドイツとオランダです。だから、ウイスパーが育ったドイツで練習できるというのは、レベルアップの環境としては最高なんです。優れた指導者もたくさんいて、周りのレベルも高いですから。私自身も、常に指導者からの指導やアドバイスを受けて練習に励んでいます。
――北京五輪に向けての抱負をお願いします
五輪では、団体戦と個人戦があって、個人戦は1次予選、2次予選、決勝(※2)と勝ち進むシステムになっています。私自身は、個人の第1次予選くらいは突破したいと思っています。
<了>
(※1)個人の1次予選が団体戦の決勝を兼ねている。各人馬の成績がイコール個人1次予選成績、3人馬の合計がその国の団体成績となる。個人戦は1次予選(50人)→2次予選(25人)→決勝(15人)と進んでいく。
(※2)
個人1次予選(兼団体戦決勝)はグランプリ(規定演技)、2次予選はグランプリスペシャル(規定演技)、決勝戦がグランプリ自由演技となっている。
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法華津寛(ほけつひろし)
1941年3月28日 東京都出身
12歳で馬術を始め、主に障害飛越競技で活躍。1964年東京五輪に初出場を果たし、障害飛越個人で40位、同団体で12位となる。その後、馬場馬術に転向。84年のロサンゼルス五輪は補欠で出場できず。86年アジア大会の馬場馬術競技個人・団体でともに2位となり、88年のソウル五輪では代表に選出。しかし、愛馬が出国検疫においてウイルス陽性反応を示したため欠場となる。 実業家としても活躍していたが、定年退職後に五輪再挑戦を決意し、2003年から単身ドイツで馬術修業。2008年開催の北京五輪地域予選審査会で馬場馬術団体の出場権を獲得し、44年ぶりの五輪切符をつかんだ。日本選手としてはソウル五輪に馬場馬術で出場した井上喜久子を上回る、史上最高齢67歳での五輪出場となる。
<過去の主な成績>
64年 東京五輪 障害飛越個人40位
障害飛越団体12位
86年 アジア大会 馬場馬術競技個人2位
馬場馬術競技団体2位
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