進化を続ける67歳 史上最年長で再び夢舞台へ
2008年3月に、67歳を迎えた。北京五輪の馬場馬術に、日本代表選手史上最高齢で法華津寛が出場する。法華津は、1964年東京五輪に障害飛越種目で出場。北京は、実に44年ぶりの五輪なのだ。
馬場馬術とは、20m×60mの馬場で、決められた順序と場所に従って、人馬一体となったテクニックを披露するという、伝統的な採点競技だ。馬術競技を熟知している人にしか分からないような、微妙な合図、指示で馬とコミュニケーションを図り、正確なテクニックを優雅に行なう種目である。
五輪では、動物と一緒にプレーする競技は、乗馬だけ。ドイツに滞在し、愛馬とのトレーニングに励む法華津に、馬術の魅力を語ってもらった。(文=宮崎恵理)
(掲載日:2008年4月7日)
|
今でも競技者という意識はない
――そもそも、乗馬を始められたきっかけは、いつ、どのようなことでしたか
中学1年の夏休みに林間学校で軽井沢に行きました。そこで、先生が貸馬を借りてきてくれて、10人くらいの生徒たちが一通り庭を引いてもらって乗ったんです。その後、自由時間に貸馬屋さんに行き、友達と3人で馬を借りました。当時はおおらかでね。「はい、いってらっしゃい」って、係の人など誰もつけずに子供3人に馬を貸してくれたんですよ。
馬に乗ると、普段の自分の目線よりずっと高くなります。いつもは見上げている木の小枝が触るくらいの高さにね。その枝を1本折って、むちがわりにしてピシャリとやったら、馬がトコトコと走り出してね。初めてなのに、ちっとも怖いなどとは思わずに、そうやって馬に乗れるということが本当に面白い! って、思ったんですね。
東京に戻ってきてから、父親に「乗馬をやりたい。東京でも馬に乗れるところはないかな」と言ったら、参宮橋のところにある馬場に連れていってくれました。その時から、日常的に乗馬をやり始めたというわけです。
――競技としてのデビューはいつですか
高校2年くらいの時に、初めて競技に出場しました。初めての競技は障害だったか、馬場馬術だったか、それは忘れてしまったのですが、当時から障害飛越と馬場馬術の両方をやっていましたね。
――そうして、1964年に開催された東京五輪には障害飛越で出場されたのですね
大学に進学したころからは、もう、ずっと障害の方ばっかりやるようになっていたのです。それで、(23歳で出場した)東京五輪には、障害飛越で出場しました。
――44年ぶりとなる北京五輪では馬場馬術での出場ですね。障害飛越から転向されたのはいつぐらいなのですか
35歳前後だったでしょうか。当時はすでに仕事(※普段は会社員として勤務)も忙しく、その合間の一番大切な趣味として乗馬を続けているという感じでしたから、競技者という意識はあまりありませんでしたね。でも、それは乗馬に専念できるようになった今でも、あまり変わっていません。
自分がパイロットに変わっていく感覚が面白い
 |
| 乗馬歴は50年。継続できた理由を、「いまだにレベルアップできる実感があるから」と語った法華津【写真提供:(社)日本馬術連盟】 |
――自然体として、乗馬を続けられているということでしょうか。馬場馬術という競技は、なかなか日本人にはなじみがありません。法華津さんにとって、馬術の魅力って、どんなことでしょう
馬場馬術の魅力というより、馬に乗る魅力ということになりますが、最初に馬に乗ったときには、「乗せていただいている」お客さんという感じでした。それが、馬に乗る時間を増やして、練習を重ねていくにつれ、自分がパイロットに変わっていくんです。最初は馬のいいなりと言いますか、馬の方が立場が上なんです。そこから、だんだんとこちらが馬を動かしていく状態に変わっていくところが面白いんですね。それは、初心者だけでなく、いくら技術的には熟練していっても、新しい馬との出会いにおいては、全く同じなんですね。
人間のスキル、テクニックも向上しなくてはいけませんが、馬にも同じようにテクニックを高めていってほしいという思いで、一緒に練習していくんです。そういう過程では、あるときには人間と馬とで感情的にぶつかることもありますよ。とくに新しい技術を馬に教えようとするときには、そんなこともあります。でも、徐々に馬も技術を覚えていって、一緒にマスターしていくという感覚を得ると、互いに、「こういう指示を出したら、こう動けばいいんだね」というような安心感、信頼感が築けるんです。そうやって、一つ一つ階段を上がっていくように、進歩を感じられるところが楽しいんだと思います。
まあ、私は、馬が大好きなんでしょうね。乗馬を始めて50年になりますが、いまだに馬と一緒に少しずつでも技術的にレベルアップできるという実感がある。そこが、続けてこられたモチベーションになっているんですね。
――馬場馬術という競技は、まさに人馬一体というか、馬とのコミュニケーションが難しくもあり、楽しいところなんでしょうか
それは障害も同じですよ。馬術は、五輪で唯一、動物と一緒に出場するという競技です。人間と動物との関わりが、やっぱり乗馬そのものの面白さなんですね。
|
|
 |
|
|
法華津寛(ほけつひろし)
1941年3月28日 東京都出身
12歳で馬術を始め、主に障害飛越競技で活躍。1964年東京五輪に初出場を果たし、障害飛越個人で40位、同団体で12位となる。その後、馬場馬術に転向。84年のロサンゼルス五輪は補欠で出場できず。86年アジア大会の馬場馬術競技個人・団体でともに2位となり、88年のソウル五輪では代表に選出。しかし、愛馬が出国検疫においてウイルス陽性反応を示したため欠場となる。 実業家としても活躍していたが、定年退職後に五輪再挑戦を決意し、2003年から単身ドイツで馬術修業。2008年開催の北京五輪地域予選審査会で馬場馬術団体の出場権を獲得し、44年ぶりの五輪切符をつかんだ。日本選手としてはソウル五輪に馬場馬術で出場した井上喜久子を上回る、史上最高齢67歳での五輪出場となる。
<過去の主な成績>
64年 東京五輪 障害飛越個人40位
障害飛越団体12位
86年 アジア大会 馬場馬術競技個人2位
馬場馬術競技団体2位
|
|
|
|
|