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イベント・スノッブな「サッカー不毛の地」
(文 佐山一郎)

サッカーにおける南北問題
94年大会の予選試合は実に490試合にものぼった。「ドーハの悲劇」で死者は出なかったが、金髪のライオンことバルデラマ率いるコロンビアがアウエー戦でアルゼンチンを破った際には、20人以上もの死者+100人以上の負傷者が出ている。しかしコロンビアの市民が興奮して街に繰り出したのには訳があった。お師匠のお宅での5−0の完勝だったからである。日本がイングランドやドイツとの真剣勝負で大勝したら――? たぶんあなたも正気ではいられぬはずだ。
94年時点で、FIFA加盟の国・地域は4年前の166から191に、また予選参加国・地域も112から144に増えている。しばしば言われるように全52試合での観客数は358万人を超え、1試合平均でも6万9000人に迫る勢いだった。ただし、男子サッカー不毛の地、アメリカ大会を支えたものは“イベント・スノビズム(俗物根性)”とでも言うべき何かである。
サッカーにおける「南北問題」に日本人は疎い。だが、南米サイドから見れば、それまでのV戦績は、○●●○●○○●○●○●○●で、五分。総出場チーム数での欧州vsアメリカ大陸は、94年大会時点で159vs77。それでもV戦績では互角なのだから、「権利の不平等」感覚がくすぶり続ける。日本人には、さすがサッカーの母国、英国には4協会が認められて面白いじゃないか……ぐらいにしか思えぬことも、南米側から見れば理不尽なことの一つでしかない。
94年大会は、そうした価値観の代弁者、マラドーナ、当時33歳にとっての最後のFIFAワールドカップTMでもあった。6月21日(火)ボストン――D組の初戦、対ギリシャ<4−0(前半2−0)>での3点目が結局FIFAワールドカップTMのラストゴールとなってしまった。マラドーナは60分にゴールを決め、タッチライン際のカメラに向かって走ってくる。あの形相を見て、思わず「すごい顔だっ……」と呟いたのは、テレビ解説で出演中の森孝慈元日本代表監督だった。
コカイン陽性反応により、1年間の出場停止処分をマラドーナとFWカニージャ(当時ASローマ)は受けていたのだから、何ともすごい攻撃陣だった。続くナイジェリア戦<2−1(前半2−1)>に勝利した直後に、マラドーナはドーピング検査で引っ掛かる。筋肉増強剤、エフェドリンが検出され、そして職を突然テレビ・コメンテーターに変えた。
幾度となく大会は水を差され……決勝は史上初のPK戦
1次リーグで特筆すべきは、F組に入っていたサウジアラビアがモロッコ<2−1(前半2−1)>、ベルギー<1−0(前半1−0)>から2勝を挙げ、アジア勢として7大会28年ぶりにファーストラウンドを突破したことだ。対ベルギー戦でのFWオワイランの5人抜き60メートルドリブル+遠目からのシュートは、大会有数のファインゴールと賞賛された。
グループリーグはE組で、メキシコ、イタリア、アイルランド、ノルウェーがいずれも1勝1敗1分けで勝ち点4で並ぶ珍しい事態となった。涙をのんだのは総得点で1しかなかったノルウェーだった。
ところで、22日のA組アメリカ−コロンビア戦<2−1(1−0)>で先制のオウンゴールを与えてしまったコロンビアDFアンドレス・エスコバルが、メデジン近郊のレストランで射殺されたのは決勝トーナメントの始まる7月2日未明のこと。マラドーナの登録メンバー抹消に畳み掛けるかたちで大会に水を差す蛮行だった。コロンビア代表は選手が脅迫を受け、マツラナ監督自身までもが帰国前に身を隠す異常事態だった。
報酬をめぐるカメルーン代表の罷業&遅刻はこの大会でも起き、札束入りスーツケースが首都ヤウンデから届けられたといううわさが立った。TPO無視で、しないでもいいそのエピソードを再度昨年のコンフェデ杯、カメルーン戦の前に披露したのはアフリカ通を自称するトルシエだった。
記録面に目を転ずると、大会得点王は、ロシアのサレンコとブルガリアのストイチコフに渡った。サレンコの場合は、グループリーグ止まりにもかかわらず対カメルーン戦<6−1(前半3−0)>での1試合5ゴール(うちPK=1)が効いた。両得点王とも6得点止まりだったが、94年大会での1試合平均ゴール数は2.71で、総ゴール数は141。1試合あたりの勝ち点を2から3に増やしたことと、オフサイドルールの緩和が奏功し、82年スペイン大会の1試合平均2.80、146ゴールのレベルに戻った。
しかし決勝のブラジル−イタリア戦では点が入らず、大会史上初のPK戦にもつれ込む。タファレルvsパリューカ戦は、バレージ、マルシオ・サントス、マッサーロ、バッジョが外し、 PK3−2で決着した。イベント・スノッブな場所にふさわしいミーハーチックな決着方法は、エスコバルを射殺する際の犯人グループの手口を彷彿(ほうふつ)させる。数人のギャングたちが引き金を引くたびに「ゴール!」とはやし立てていたというのだから全くうんざりする。哀れなエスコバルは1ダースもの銃弾を受けたという。
<この項、了>
佐山一郎/Ichiro SAYAMA 1953年生まれ。東京都出身。成蹊大学文学部文化学科卒業後、流行通信入社。『スタジオ・ボイス』編集長を経て、80年代半ばよりインタビュアー、コラムニスト、ノンフィクション作家として活躍。その間、85年には、雑誌『Number』特派記者として、平壌、ソウルでのサッカーW杯予選や、1ヶ月間に及ぶメキシコW杯取材など、数多くの現場取材もこなしている。著書に『東京ファッション・ビート』(新潮文庫)『「私立」の仕事』(筑摩書房)『闘技場の人』(河出書房新社)『Jリーグよ!』(主婦の友社)『サッカー細見』(晶文社)『こんなサッカーのコラムばかり雑誌に書いていた。』(双葉社)などがある

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