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旧ユーゴ諸国の中では「スキーの国」と言われ、サッカーに関しては冷ややかな目で見られていたスロベニアだが、名将カタネッツに率いられ、W杯初出場を成し遂げた【Photo by 鈴木克依】

弱小・スロベニアに魔法をかけた男、スレチコ・カタネッツ(前編)


■ 前回のW杯予選では、1勝も挙げられなかった「スキーの国」


 前回のワールドカップ(以下、W杯)予選で1勝もできなかったのに、今回のW杯出場権を勝ち取った国があります。さて、どこの国でしょう?

 答えはスロベニア。チェコと分離したスロバキアと間違えられやすいが、そうではない。旧ユーゴスラビア(以下、ユーゴ)から分離、独立した、アルプスのふもとにある小さな国だ。旧ユーゴの国々といえば、ユーゴやクロアチアなどサッカーが強いイメージがあるが、スロベニアは少なくとも4年前まで、サッカーに関しては全くの無名だった。

「スロベニアはスキーの国。サッカーの国ではない」と、旧ユーゴ時代から他の共和国に住む人たちから言われ、スロベニア人自身もそう信じていた。そんなスロベニアゆえか、旧ユーゴ時代はサッカーのための投資をろくに受けることができず、現在でもスロベニア最大のスタジアムは収容人数約8000人、1938年に改修されて以来ほとんど手が加えられていないという“歴史的建造物”だ(やっと昨年になり、2004年までに新スタジアムを建設する話が具体化した)。

 案の定、初めて参加した前回98年フランスW杯の予選では1分7敗。クロアチア、デンマーク、ギリシャ、ボスニアを相手に、アウエーのクロアチア戦を引き分けた以外はすべて敗れるという悲惨な結果だった。

 そんな弱小チームをたった2年でユーロ2000(欧州選手権)に出場させ、さらにW杯出場へと導いた男こそ、98年7月に監督に就任したスレチコ・カタネッツだ。98年W杯予選で惨敗したときと主力選手はほとんど変わらず、チームに強力な新人や助っ人が加わったわけではない。選手のほとんどは有名とは言えないクラブチームに属し、しかも約半数は控えに甘んじている。お世辞にも「選手個人の能力が高い」とは言えないチームだろう。ところが、カタネッツの手にかかると素晴らしい組織力を発揮し、ユーゴ、ルーマニアなど有名選手をそろえる強豪国を倒してW杯出場を決めてしまった。

 現地メディアは「彼はゼロから素晴らしいチームを作った。錬金術師だ」と評価し、観客や、選手ですら「われわれはラッキーだ、奇跡だ」と叫んでいた。確かにカタネッチの名前Sreckoはスロベニア語で“lucky”という意味だが、W杯出場はただ運に恵まれただけではない。当のカタネッチツ語る。
「われわれはいつも負けて当然だと思われてきた。しかし、サッカーとは“何か”が起こるものなのだ。みんなをアッと言わせるような結果だって起こり得る」
 この言葉通り、カタネッツは“何か”を起こしてきたのだった。


■ ユーゴを押しのけ、強豪ルーマニアを倒してのW杯初出場


 W杯予選プレーオフ、対ルーマニア第1戦。スピードに乗った攻撃を仕掛けるルーマニアにスロベニアは全くなすすべがなく、前半26分には先制点を奪われてしまう。その後も試合はルーマニアペースで、いつ2点目が入るかと思われていた矢先、カタネッツが動く。前半40分、カーリッチに代えてN・チェフを投入。すると魔法がかかったかのように試合の流れが微妙に変わり、わずかその2分後にN・チェフが出したパスをアチモビッチが決めて同点に追いつく。そして後半、ルーマニアの猛攻にさらされながらも一発のカウンターで決勝点を奪い、スロベニアが勝利した。

 この試合後、カタネッツも「ラッキーだった」と話しているが、後半からでなく前半のうちにN・チェフを投入したことで、運を引き寄せたように見える。第2戦が完全なスロベニアペースだったことを考えると、第1戦の選手交代がスロベニアW杯出場の決め手だったと言っても過言ではない。「たまたま選手交代が当たっただけではないか」と思われる方もいるだろう。しかし、予選グループでの試合結果からは、それが偶然ではないことがよく分かる。

 予選でスロベニアは、ロシア、ユーゴ、スイスとW杯常連国がひしめくグループを勝ち抜いたが、ホームとアウエーのスイス戦、ホームのロシア戦など重要な試合で、ことごとく交代選手が同点ゴールあるいは決勝ゴールを決めているのだ。カタネッチは、選手交代を通じて確実に“何か”を起こしていた。プレーオフ第2戦で苦し紛れにFWばかり3人も投入、5トップという無理な布陣を敷いて自滅したルーマニアの監督、ハジとは対照的だ。

 W杯出場を決めた後、逆にスロベニアに押しのけられた形でW杯出場権を逃したユーゴの名門チーム、レッドスター・ベオグラードのジャジッチ会長がカタネッツを訪れ、「ユーゴにはカタネッツに相当するようなコーチはいない。ぜひベオグラードに来て、コーチングワークに関するセミナーを開いてもらいたい」と絶賛した。旧ユーゴ内で、サッカーに関しては決して敬われることのなかったスロベニアの立場を、カタネッツは変えてしまったのである。<後編に続く>


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