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梶原弘樹
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スポーツナビ
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トヨタカップという名の定規(1/2)
2004年12月13日
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| ポルト―オンセカルダス 前半、オンセカルダスのガルシア(右)と競り合うポルトのルイス・ファビアーノ=横浜国際【 共同 】 |
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■パンフレットに残るフランシスのサイン
トヨタカップの公式ホームページを閲覧していて、81年第1回大会プログラムの表紙デザインを見つけた。無性に懐かしくなって、家のクローゼット奥底に眠っていた箱を引っ張り出してみた。 手にしたそれをパラパラめくると、ノッティンガム・フォレスト(イングランド)の選手紹介のページには、当時のイングランド代表GKピーター・シルトンやFWトレバー・フランシス、さらには褐色の右サイドバック、ビビアン・アンダーソンらの顔が並んでいた。 特に、フランシス選手の欄には、彼のサインまで入っている。そう、当時高校1年だった私は、昼間に行われたゲームの後、彼らの宿泊ホテルを調べ、ロビーに出てきたスターに握手を求め、サインをもらったんだっけ。現在のヨン様フィーバーに閉口している小生も、彼女らの行動を否定できない経験をしていたわけで、思わず苦笑いしてしまった。
いまさら言うまでもないが、当時はWOWOWもスカパー!もなかったので、世界のサッカーを身近に触れるチャンスというのは、テレビ東京系で放送されていた『ダイヤモンドサッカー』くらいしかなかった。2週間かけて1試合を放送するそれは、現在のように雨あられのように各国のゲームを視聴できる現状からは、考えられないような状況だった。 トヨタカップのスタートはそんな「サッカー情報飢餓」の状況の中で、サッカーがうまくなりたいと純粋に思っていた少年の心に、何らかの衝動を起こさせたのだろう。
■ラストゲームを迎えたトヨタカップ
四半世紀に渡って行われてきたトヨタカップが最後を迎えた。そのスタンドに座って試合を観ているうちに、私はこの25年の歳月の間に日本のサッカー界がどのような変遷(へんせん)を遂げてきたかに思いを馳せていた。 別に試合内容がつまらなかったからではない。当時、世界的に見てそれほど卓越していたわけではなかったであろうフランシス選手の“追っかけ”をするほど、世界的なサッカーに触れ合うことに渇望していた私たちが、今は両チームで代表選手10人以上を抱えて来日しても、ベッカムクラスのスーパースターがいなくてはスタンドも満員にならない(事実、この日は4万7000人余り)ような国になったのだ。
「欧州と南米のクラブの頂点を決める大会」という名誉があっても、人々はもはやそれ以上にエキサイティングな戦いがほかに存在することを知ってしまっている。衛星放送の急速な普及が「トヨタカップの使命」を終わらせてしまったという言い方もできると思う。
<続く>
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