G大阪の西野監督「ガンバのサッカーをもっと見てもらいたかった」 (1/2)
練習後、囲み会見
J1・ガンバ大阪は23日、西野朗監督が今季限りで退任することを発表した。今季、首位・柏レイソルとの勝ち点が4に開き、優勝が厳しくなっているものの、2002年から同クラブを率い、05年にはJ1初優勝、08年にはアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)制覇を果たすなど、強豪クラブに育ててきた。
以下は、大阪府吹田市内でのチーム練習後の西野監督の囲み会見でのコメント。
■期待に「応えられなかった」という判断は受け止めたい
――本日、クラブ側から今季限りで契約満了となる旨のリリースが出たが、今の気持ちを聞かせてほしい
これだけG大阪での長い時間があった中で昨日ポンと言われて、受け止めるにも、昨日の今日のことで、突然でしたからね。いろんな意味で複雑ですが、残り2試合、優勝が懸かっている試合もありますし、精いっぱいベストを尽くして、ということに切り替えていくしかないという思いでいます。
――どういった形で金森喜久男社長から通達されたのか
シンプルに契約満了の中で退任してもらう、と。新しい体制のもとで、新しいチーム作りに着手したいということを言われて、それを了解したということです。「振り返れば、5つもタイトルを取ってもらって本当に感謝している」とは言われましたが、それについては、僕としてはもっと取れるチャンスがあったと思っているし、今年に関してはACLの大事な試合で勝ち切れなかった自分というのはあるなと思っています。そう考えても、僕としてはやり切ったという感覚はないし、これは毎年そうですよね。常にもっともっと、という気持ちはあるし、いろんな状況があったとしても、コンスタントにいいチームにしていきたいという思いは毎年ありますから。それは今も持っています。
ただ、クラブの方針というのも毎年変わるものだし、それに応えられるかどうかというのも大事なことで、今回のことも結果からみれば、ここ2年の契約に対して僕がクラブの期待に「応えられなかった」という判断をされたということだと思うので、それは素直に受け止めたいと思います。
――昨日、今回の件に関するクラブの対応が寂しいと言っていたが
確かにそれはあります。もう少し、お互いにいろんな話し合いをしたり、次のステップ、ステージに入るにしても、いろんな意味で、もう少しクラブとの接触が欲しかったとは思いますが、でも、こんなものかなという思いもあります。ただ、こういう優勝を争っている時期であるとはいえ、例年ならもっと早い段階から話していたことを考えれば、いろんな形でクラブとの話というか、そういう場が持てていれば、もう少し早く整理がつけられたというのもあるし、僕自身の今の選択肢が狭まっていっている状況も変わったのかな、とは思います。それに関しては、多少の配慮はしてもらえてもよかったな、と。
ただ、契約満了ということに関しては、今年契約が切れるのは分かっていたことなので、何も言われなければ自動的にと思っていたし、クラブの「新体制で新しいチーム作りを」ということを僕もしっかり受け止めて、理解するしかないのかなという思いはあります。ガンバは常にタイトルを意識した、目標設定の非常に高いクラブですから。昨年もタイトルはなく、現時点でもなしでという判断の中で、そういう高い基準をクリアできないということも当然理由の1つとしてあると思います。僕自身も、それは確かに責任というのは感じているところでもありますから。そういう判断基準も当然あるんだろうなとは思います。
■10年もらって1クラブでやれたのは、本当にありがたかった
――10年は、とても長い年月だと思う。あらためてG大阪に対する今の思いを聞かせてほしい
もちろん、思いは強いです。世界にもたくさんのクラブがある中でも、何番目に入るかというくらいの、10年という時間をもらって1クラブでやれたというのは、本当にありがたかったと思っています。自分の中では日本人指導者に対する評価というものが低いと感じていたというか、Jリーグが発足して以降、海外の指導者に依存をしていたという時代もありましたから。また、クラブによっては、日本人指導者を1シーズンの時間ももらえずに切り替えていくクラブもありましたからね。
ただ僕としては、日本人にも優秀な指導者というのはたくさんいると思っていたからこそ、僕のように長期的に指揮を執る監督が1人くらいいてもいいかなというのはありましたし、僕自身もそういうことに反発していきたい、自分がそういう1人でいたいという気持ちはありました。だからこそ、僕としてはいろんな状況下において、ベストを尽くそうという思いではやってきました。もちろん、僕ではない指導者が10年やっていたら、もっとたくさんのタイトルを取れたかもしれないし、もっとグレードの高いクラブになっていたかもしれませんが。
そういう思いでチーム作りをしてきましたが、チームは生き物ですからね。いい時もあれば、当然、悪い時もあるわけで、いろんな選手の状況や環境が変わることで、目標通りにいかない時期もあって当然ですから。実際、僕も苦しんだ2年目というのがあり、そこでまた新しい時間をもらってさらに、という時代もありましたからね。その中で常勝を求められ、それに対するプレッシャーは感じながらも、選手が入れ替わりながらも、コンスタントにチームは動いていきたいなと思いながらやってきました。そういう一時代の後に、新しい体制でということをクラブが決断したことに関しては、しっかりとらえたいと思っています。
――G大阪は監督にとってどういうクラブだったか?
みんなが勝つためだけにサッカーをしているわけではなく、サッカー自体が面白く、その中で自分のスタイルをみんなが理解してやってくれたと思います。もしかしたら歴史を支えてくれたDF陣に本音を聞けば、どうだったのかなというのはありますが。というのも、2−0、3−0で勝てるところを最終的に6−3になっても攻撃的にいきたいというメッセージを送り続けながら、そういうスタイルにこだわっていた時代もありましたから。ただいずれにしても、そういうスタイルをみんなが理解をしながらやってくれていました。個性はありながらも、みんながひたむきにスタイルを追究していくことのできる普通のチームではないと思っていました。
攻撃サッカーというのは、確かに面白いと言えば面白いですが、サッカーではそう簡単に攻撃的なスタイルを出し切れるわけではなく、一過性で、ある瞬間だけ出せることはあったとしても、それを継続してやっていくことは簡単ではないですから。ですが、うちの選手たちは、そこへのこだわりをずっと持ちながらやってくれた。それだけに、このサッカーをもっとたくさんの人に見てもらいたかったというのはあります。そのへんはスタジアムの問題も含めて、早くそういう環境になればいいなという思いをずっと持っていました。
・西野朗監督との来季契約について(ガンバ大阪オフィシャルサイト) (2011/11/23)
・スポーツナビ・サッカーFacebookページ (2011/11/23)




