フットボール・ファミリーの底力が試される時 (1/2)
東日本大震災に寄せて
■フットボール・ファミリーにとっての震災
「その時、どこで何をしていたのか?」
世界的な事件や災害が起こったときに、このような問いかけが成立する。最も分かりやすい例が、2001年9月11日の米国同時多発テロ。わが国でいえば、1995年3月20日の地下鉄サリン事件であろうか(同年1月17日の阪神大震災の場合は、夜明け前の出来事だったので、被災者以外は「朝起きてテレビをつけて驚いた」という人がほとんどだったと思う)。今回の東日本大震災は、国内における空前の災害ゆえに、日本中で「その時、どこで何をしていたのか?」という問いかけが繰り返されたことだろう。それくらい今回の震災は、日本のみならず世界中に強烈な衝撃を与えることとなった。
幸い、私の親族や交友関係、および仕事関係で、命にかかわる深刻な被害に遭った人はいなかったようだ。とはいえ「フットボール・ファミリー」として考えると、この惨状には暗たんとするしかない。直接的な被害に見舞われたJクラブとしては、まずベガルタ仙台、そして大きく報じられていないが、鹿島アントラーズや水戸ホーリーホック、大宮アルディージャといった関東のクラブも施設などで被害を受けている。JFLでは、ソニー仙台とブラウブリッツ秋田、なでしこリーグでは、東京電力女子サッカー部マリーゼの状況が心配。また、東北リーグ1部に目を移せば、グルージャ盛岡、盛岡ゼブラ、福島ユナイテッドFC、塩竃FCヴィーゼ、そしてコバルトーレ女川と、今回の被災地の名前を冠したクラブの多さに慄然(りつぜん)とする。
選手のことも気になる。日本代表の今野泰幸は仙台出身だし、元代表の小笠原満男は盛岡出身で、母校のある大船渡市は甚大な津波被害に遭った。その心痛はいかばかりであろうか。彼らだけでなく、被災地出身のJリーガーは全員が、故郷に暮らす親族や友人はもちろん、母校の恩師や後輩たちの安否を気遣っていることだろう。また、東京電力福島第1原発から約20キロ、第2原発から約8キロの場所には、JFAアカデミーの生徒たち、96人が学んでいる(幸い、家族や関係者を含めて、すぐに安全な場所に退避できたようだ)。こうして見ると、われわれフットボール・ファミリーにとって、いかに今回の震災が深刻なものであったか、容易に理解できるはずだ。
■国外からのメッセージと、何もできないもどかしさ
いや、私がこのようなことを書くまでもなく、サッカーにかかわる多くの人々が「ファミリー」の苦境を案じ、その痛みを共有していることだろう。それは日本国外でプレーしている選手たちも同様である。
インテルの長友佑都は、喪章を付けてプレー。インテル側の提案で、チームメートはもちろん、対戦相手のブレシアも喪章を付けることに同意したという(その後、各国のリーグで喪章を付けた試合が行われた)。また、ケルンの槙野智章は「被災地のみんなへ ガンバレ! 一人でも多くの命が救われますように」、シャルケの内田篤人は「日本の皆へ 少しでも多くの命が 救われますように 共に生きよう!」と、フェイエノールトの宮市亮は「一人でも多くの人が救われますように!!」と、それぞれインナーシャツに日本語で書かれたメッセージを披露して、遠い祖国にエールを送った。
一方で、ジーコやイビチャ・オシム、フィリップ・トルシエといった歴代日本代表監督、そしてレオナルド(インテル監督、元鹿島)、ワシントン(元浦和)といった日本にゆかりの深い人々、あるいはベッカム、カカ、デルピエロ、セスク、ファン・ペルシといった世界中のスター選手、さらにはリバプールやバルセロナやレアル・マドリーといったビッグクラブが、ツイッターやブログなどを通して日本国民に励ましのメッセージを発信している。こうしたニュースに接するたびに、国境や民族を超えた「フットボールの力」を思わずにはいられない。
もっとも、こうした国外からの激励が増えれば増えるほど、国内でサッカーに携わる人間が、何もできないもどかしさを痛感していたのも事実である。大震災があった11日、JリーグはJ1とJ2、19試合すべての中止を決定。JFLの開幕戦も中止となった。試合がなければ、選手はプレーを通して観客を勇気づけることはできないし、われわれ書いたり撮ったりする人間も、その感動を伝えることができない。無論、およそサッカーができる状況でないことは重々承知しているが、何もできないがゆえに焦燥感は募るばかりだ。週末のスポーツ報道を見ても、チーム関係者の安否や競技施設の損害に関する情報、そして選手や監督のお見舞いのコメントで埋め尽くされていた。いずれも重要であることは間違いないのだが、さりとて「サッカーだからできること」ができないのは、取材する方もされる方も実にもどかしい。今は国民の1人として、被災地に暮らす人々の無事を祈念しつつ、電力消費を控えることくらいしかできないのが実情である。




