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ベスト8進出がかなわなかった要因を探る(2/2)
ワールドユース現地リポート

2005年06月26日
元川悦子

■皮肉な結末

後半ロスタイムの失点でモロッコに敗れ、大会を去った日本
後半ロスタイムの失点でモロッコに敗れ、大会を去った日本【 (C)Mutsu KAWAMORI 】

 アジアユースからここまで、日本はいつも「前半は耐えて、相手が疲れた後半勝負」というパターンを繰り返してきた。指揮官は事あるごとに「そういうゲームプランではない」と言い続けたが、「負けたら終わり」という意識が強すぎて前半は慎重になりすぎる嫌いがあった。しかしこの大舞台を前に、彼は切り札・水野を兵藤に代えて先発起用。頭から勝負に出た。

 この策は失敗ではなかった。日本は序盤からボールを支配。いいリズムで攻め立てた。家長がスピードで左サイドを切り裂き、カレンも平山をよくサポート。梶山も3試合目になって本来のパフォーマンスに近いプレーを披露した。トップ下の水野もスピードと精度の高いキックでチャンスを作った。これで点が入っていたら日本は確実に勝っていた。だがカレンのシュートがポストとクロスバーをたたくなど、ゴールを割れない。サッカーというものは攻勢の時間帯に点を取れないと、必ず相手にペースが行ってしまう。案の定、後半の日本はモロッコに押しまくられた。

 ここで大熊監督は動いた。まずはカレンを右サイドからFWに置き、水野を右サイドに回した。そして家長に代えて前田を投入。ゴールを取りに行った。さらには水野を下げ兵藤を投入した。しかし、この配は残念ながら的中せず、兵藤のバックパスが後半ロスタイムの失点のきっかけを作るという皮肉な結末を迎えてしまったのである。

■戦力の誤算

 こうした戦いを見ると、今大会の日本は守備陣が不安定すぎた。4試合すべて先に失点し、一度も零封できなかった。アジアユースまでキャプテンを務めた増嶋は長期負傷離脱とJリーグでコンスタントに試合に出ていない影響か、しばしばミスパスをしてピンチを招いた。水本は1対1の強さを発揮したが、モロッコ戦の最後には集中力を欠いた。中村は初戦でクインシーにキリキリ舞いさせられたことが心理的負担になり、その後積極性を欠いた。唯一、大健闘したのが柳楽。闘争心あふれるプレーは見る者を感動させたが、彼1人で守備陣を統率できるわけではない。大熊監督はおそらく小林を最終ラインで起用したかったのだろうが、前回大会の今野泰幸(FC東京)に匹敵する「中盤の核」が最後まで見つからず、彼をボランチで使わざるを得なくなった。このあたりも誤算だったかもしれない。
 攻撃陣も結局、4試合で3点しか取れなかった。うち2点が水野絡みのセットプレー。エース・平山を生かす「確固たる攻撃の形」が最後まで作れなかった。その一因が梶山の長期離脱だろう。今回の大熊監督のさい配を見ても分かる通り、攻撃のキーマンはあくまで梶山だった。その彼がアジアユースを棒に振り、その後もケガがちでチーム作りに参加することなくワールドユース本番を迎えてしまったことは、大きな痛手だというほかない。ならば本田や水野らほかの選手を軸に据えるという考え方もあったのだろうが、指揮官は頑ななまでに彼にこだわった。
 兵藤やカレンに関しても同じことが言える。今大会の兵藤は残念ながら機能していなかった。本人も「ボールを失うのが怖くて逃げのプレーばかりしていた」と悔しさを隠せない。それでも指揮官は1次リーグ3試合すべてに彼を先発出場させ、モロッコ戦の大事な場面でもピッチに送り出した。それが兵藤への信頼の表れだったに違いない。カレンも2003年秋の1次予選から26試合連続ノーゴールという不名誉な記録を続けながら、スタメンでプレーを続けていた。「FWの仕事は得点」という視点で選手を見る指揮官がさい配していたら、彼はずっと前に外されていてもおかしくなかった。

「自分が日本中を回って鍛えた選手たちなんだから、伸びてもらわないと困る」と以前、大熊監督は漏らしたことがある。2003年夏にこのユース代表が発足した時、チームの要は平山、兵藤、中村ら国見勢とカレン、増嶋の市船コンビだった。彼らが順調に伸び、ワールドユースのチームを力強く牽引していければよかったのだが、期待した選手たちが予想したほど飛躍しなかった。平山、兵藤が大学サッカーという環境を選んだこと、増嶋やカレンがコンスタントにJの試合に出られないことなど、理由はいくつかあるだろう。
 その間に家長や水野、前田、本田らJリーグで実績を積んで台頭してきた者がいた。けれども指揮官は後から出てきた選手を信じ切れなかったのかもしれない。結果として「伸びてほしい」と期待した選手たちが十分な活躍を見せることができないまま、日本は敗れ去ったのだ。

■「自主性」と「自己主張」でさらなる成長を

 今回のワールドユースから分かったのは、サッカー選手というのは、高いレベルで恒常的に活躍しなければ成長しないということ。どんなに優れた才能があっても、それを伸ばす環境がなければ、宝の持ち腐れに終わってしまうのだ。今大会である程度戦えた家長や水野にはJリーグでこれまで以上に飛躍してほしいし、ふがいない結果に終わった選手たちも自分を伸ばせる場を貪欲(どんよく)に探し続けるしかない。
 最後にもうひとつ注文をつけるとすれば、若い年代の選手たちに「自主性」と「自己主張」を身に付けてほしいということ。今大会の選手たちはベナン戦の後、大熊監督から「話し合え」と言われて初めて意見を戦わせるようになったというが、それではダメだ。日本代表が苦しみながらもなぜ2006年ワールドカップアジア最終予選を突破できたかといえば、宮本恒靖(G大阪)や中田英寿(フィオレンティーナ)らが中心となって自ら難局を乗り越えたのだ。ピッチで戦うのは監督ではなく選手である。大事なことを他人任せにしていたら、絶対に結果はついてこない。
 とはいえ、ワールドユースで結果が出なかったからといって、将来がないわけでもない。今の日本代表を見ても、中澤佑二(横浜)や玉田圭司(柏)のようにユース年代までは代表歴を持たない選手が20歳を過ぎてから一気にブレークした例もある。この大会に出た選手たちには、苦い経験を前向きに生かし、将来へとつなげてもらうしかない。


<了>

元川悦子/Etsuko Motokawa
1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。柳沢敦、中村俊輔ら「中田英寿以降の世代」の成長過程を高校時代から見続けており、その取材活動を現在も継続中。2000年シドニー五輪の頃からは海外サッカーにも本格的に目覚め、本場の熱気に浮かされたようにここ数年、年間100日以上を欧州などでの取材活動(若者でもやらないような冒険旅行?)に当てている。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「ワールドカップ勝利への最終提言」(徳間書店)、「蹴音」(主婦の友社)がある。目下のテーマは女性にサッカーの魅力を伝えること


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