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安藤隆人
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スポーツナビ
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U−20戦士が得たかけがえのない経験(1/2) FIFA U-20 World Cup Canada 2007
2007年07月24日
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U−20戦士たちはカナダの地で、かけがいのない経験を手にした【 Photo:YUTAKA/アフロスポーツ 】
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世界で戦うことがどういうことか伝えたい――これがU−20日本代表の吉田靖監督が2年半、選手たちに送り続けたメッセージだったのだろう。そのメッセージは確かに彼らに伝わったはずだ。
吉田ジャパンが世界へ挑んだU−20ワールドカップ(W杯)は4戦で幕を閉じた。決勝トーナメント初戦での敗退はあまりにも早すぎるし、彼らはもっと上に挑戦できる力を持ったチームだった。それでも、日本の前に立ちはだかった世界の壁は、多くのことを教えてくれた。選手たちがカナダの地で得たものは、かけがえのない経験だった。
■屈辱からのスタート
チームの立ち上げ当初から、吉田監督は「人もボールも動くサッカー」をテーマに掲げる一方で、選手たちのパーソナリティーを尊重してきた。激しく怒ることはめったになく、常に選手たちの目線に立って接してきた。そのため、最初のうちは選手になめられてしまうきらいがあったが、それも彼らと密度の濃い時間を過ごしていくうちに、吉田監督の真意は徐々に伝わっていった。
2005年2月20日に吉田ジャパンが産声を上げてから約2年半、彼らはさまざまな経験を積んで歩んできた。スタートの年は9月の仙台カップでU−18東北選抜に、10月の韓国遠征でU−18韓国代表に、共に内容も含めて圧倒されて2−5の大敗を喫するなど、大きな屈辱を味わった。それでも「自信を持て、もっとアジアや世界を意識しろ」と吉田監督は言い続けた。選手たちも「このままではいけない」と奮起し、その年のアジアユース1次予選で宿敵・北朝鮮を下して最終予選進出を決めると、翌06年には今のチームの礎となったカタール国際ユース優勝を果たし、自らの力で階段を一歩上がって見せた。
「もっと上を目指さなければならない」 吉田監督は徐々に要求を高めるとともに、選手たちがカタールでつかんだ自信を尊重し、チームの土台を作っていった。06年10月のアジアユースの段階では、すでに何人かの選手は所属チームでレギュラーをつかんでおり、チーム力もはるかに向上していた。北朝鮮、タジキスタン、イランと強豪国が名を連ね、「死のグループ」ともいわれたグループリーグを1位通過し、準々決勝ではサウジアラビアとの死闘を制してU−20W杯の出場権を獲得。その後準決勝で韓国を下し、決勝戦では北朝鮮にPK戦の末敗れたものの、準優勝という結果を出して見せた。
■すべては世界で勝つために
そして勝負の2007年を迎えた。今年に入って吉田ジャパンは、カンポスベルデ国際ユース(ポルトガル)、トゥーロン国際ユース(フランス)という2回の海外遠征を行っている。すべては世界で勝つために――吉田監督は最後の修行の場を国内ではなく海外に求めた。「これまではアジアに目を向けてやっていた。でも次は世界。アジアと世界ではまったく違うので、早く選手たちに世界に目を向けてほしかった。それには世界で大きなショックを受けて、アジアでつかんだ変な自信を一度崩したかった」と吉田監督が語ったように、アジアでは通用することが世界で通用しないことは往々にしてある。アジアでつかんだものの中には、必要以上の自信もある。そうした過信を持ったまま、アジア基準で世界に挑んでは痛い目に遭う。すでに世界大会を幾度も経験している吉田監督だからこそ、そうなる前に一度自信を壊して、もう一度世界に向けて意識改革をしようともくろんでいたのだ。そして、この選択は間違っていなかった。この遠征は“世界基準”なるものを知らしめるのに、格好のものとなった。
カンポスベルデ国際ユースでは、「この遠征のメーン」と吉田監督が位置づけるポルトガル戦で、日本は翻ろうされ続け、まったくいいところがないまま、0−3の完敗を喫する。この遠征を通じて、ポジションチェンジや、「第3の動き」は皆無だった。「常に1対1の状況だった」と梅崎司が語ったように、サイドを崩すにはサイドバックのオーバーラップやFWのプルアウェイ(DFの視野から消える)の動き、ボランチのビルドアップなどで連動性を持たせて崩すのが有効である。実際にポルトガルはその動きを多用して日本を切り崩した。対する日本は、両サイドバックがディフェンスラインにとどまってしまい、ボランチも中央に人がいないためにステイしなければならず、サイドでは常に1対1の局面となってしまった。これでは相手にとっては非常に守りやすい。実際ポルトガルの選手は、両サイドに1人をつけることを決め事にして、後は自由に動いていた。
■敗戦から見えた世界基準
はっきり言ってポルトガルは日本よりも個で打破する力を持っていた。そんなポルトガルが激しいポジションチェンジと追い越しで流動性を持っているのだから、当然日本は太刀打ちできない。日本がやるべきサッカーを反対にポルトガルにやられてしまった。まさに言い訳無用の敗戦。「僕はこの結果に驚いていない。これが現実。世界基準を知ることができたのが最大の収穫」と吉田監督は試合後に語った。選手たちは世界基準を嫌と言うほど知ることができた。
「やっぱり点差以上に内容で圧倒されたし、自分たちの中で意識していないにしても、(アジアユースで準優勝して)アジア2位になったっていう変な自信がついていて、そういうのが過信になっていた。『何かやれるだろう』とか『ヨーロッパもアジアとそこまで変わらないだろう』というのが意識の中であったと思います。でも、アジアとヨーロッパは全然違ったし、アジアの国が相手だったら何とか耐えられたところが、ヨーロッパの国が相手では本当にこちらのスキひとつでやられていました。その時、少しでも自分たちにスキがあったら勝てないんだなっていうのをすごく感じたし、本当にこれで同じ年の選手かよって思いましたね」とGK林彰洋が語ったように、自分たちの過信を根底から崩された結果に、ショックを隠しきれなかった。
しかし、これにより個々に危機感が生まれ、選手たちはより自分を律するようになる。その成果は、続くトゥーロン国際ユースで表れた。初戦のドイツ戦で立ち上がりから積極的に仕掛けていった日本は、先制され苦しい状況になっても、自らのサッカーを貫いて、試合をひっくり返して見せた。ここではポルトガル戦ではまったくなかった「第三の動き」が頻繁に見ることができた。これがチームに世界基準での自信をもたらした。
彼らは着実に前に進んできた。アジア突破を目指して、数々の屈辱、苦悩を乗り越えてきた。そして今年、世界に向けて、一度選手たちの自信をぶち壊し、より強固なものを作り上げた。この2年半、着実に成長してこれたのは、吉田監督の我慢のチーム作りと、指揮官の期待に応えようとする彼らの意思が一つに重なり合ったからこそ、実現したのだった。だからこそ、カナダの地で彼らは強固な一枚岩となり、見ている人達の心を突き動かすほどの魅力的なチームになった。
<2ページに続く>
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