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中田徹の「オランダ通信」
ある青年監督の肖像(中編)
2003年12月18日
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オランダ1部リーグ最小の予算で運営されているRBCのクラブハウス【Photo by Toru Nakata】
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■プロ監督就任1年目でRBCを1部に導く
1996年、27歳でマースカントは現役を引退した。
「けがでもないのに、引退が早過ぎて後悔していないかって? 全然。僕の目標は指導者になることだった。
人々というのは『名前』を優先するんだ。ビッグネームは有利だよ。ロナルド・クーマンはすぐにオランダ代表のアシスタントコーチになれた。僕に彼のようなバルセロナやオランダ代表でのキャリアがあればもっと遅くまでプレーすることもできるけど、僕のような無名選手は早く指導者としてのスタートを切らないといけない。そうすることによってクーマンのような監督に少しずつ追いつくことができるんだ。
それにしても、監督の経験が全くないライカールトがEURO2000(欧州選手権)の時、オランダの指揮を執っただろう!? それはさすがに理解できない」
引退後はすぐにゴーアヘッド・イーグルスとズボレでアシスタントコーチやユース監督を務め、99年、ついに当時2部だったRBCでプロ監督のデビューを果たす。しかも、就任したその1年目でチームを1部に導いた。当時まだ30歳だったマースカントの名は、オランダ全国にとどろいた。
その後すぐにRBCは2部リーグへ落ちてしまったが、マースカントは再びRBCを1部へ昇格させた。
3シーズンで2回の1部昇格。RBCにとっては大成功だ。マースカントがこの間に手掛けたのは、チームビルディングの総合コーディネートだった。
「僕が来た時のRBCは、ユースの指導者のレベルが低かったのですべて採用し直した。僕はユーストレーニングの経験もあったから、僕自身が、採用したコーチたちのコーチでもあった。ユースのコーチたちはトップチームの対戦相手のスカウティングもした。彼らのレポートを元に、僕らはディスカッションを重ねた。こういうことの一つ一つがクラブを同じ目標へと導くんだ」
■古巣からのSOS
RBCでやることはやった。3シーズンというのはマースカントにとっても、RBCにとっても十分だった。クラブの首脳陣には、2度目の1部リーグは経験豊富な監督に任せたいという気持ちがあった。そうして昨シーズン、マースカントはゴーアヘッド・イーグルスへ移ったのだ。
「当時は、RBCにも僕にもフレッシュな空気が必要だった。僕は愛するクラブ、ゴーアヘッド・イーグルス(2部リーグ)で長期展望にたって指揮を執る予定だった。そのためのスタッフも連れて行った」
だが、ゴーアヘッド・イーグルスではわずか半シーズンの指揮だった。古巣RBCはマースカントが去った後、大変な危機に陥っていた。経験豊富なはずのデッカー監督は経営陣と選手から見放され、チームは崩壊寸前だった。「マースカント、助けてくれ!」とSOSが飛び、マースカントのRBC緊急復帰が決まった。
「あの時は僕もつらかった。ゴーアヘッドはマイ・クラブなんだ。もっといたかった。僕は普段よく眠れるほうなんだけど、さすがにあの時は眠れなかった……」
「ピッチの外ではリラックスした監督。だけどピッチの中では厳格」(当時RBC、現FCユトレヒトのサンダー・ケラー)なマースカントが戻り、RBCはウイナーズメンタリティーと規律を取り戻した。こうしてRBCは、13位と十分過ぎるほどの結果を残し、昨シーズンを終えることができた。
そして、今シーズンの好成績は冒頭で紹介した通りだ。
<後編に続く>
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