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東本貢司の「プレミアム・コラム」
ミドゥルズブラ128年目の初戴冠(前編)
2004年3月1日
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降格が決まっていた1997年のFAカップ決勝。チェルシーに敗れて泣き崩れるラヴァネッリたち。そしてチームを去った【(C)Getty Images/AFLO】
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■数奇な運命をたどってきたミドゥルズブラ
ちょうど1年前の本コラムでノースイーストの古豪3クラブを取り上げた記憶がある。ただし、古豪とは言っても、ランカシャーのクラブ(プレストン、ブラックバーン、ボルトンなど)と並んでれい明期のイングランド・フットボール界を席けんした“大強豪”ニューカッスルやサンダランドに比べれば、地理的にもポツンとライバル市より南に位置するミドゥルズブラの戦史は、イングランド全体でもかなり“くすんで”見える。あるいは、数奇な運命をたどったと言ってもいい。
1876年の創立時の話からして希少価値(?)のムードたっぷりだ。いわく「ミドゥルズブラFCは同市内コーポレイション・ホテルで開かれた“何でもない”夜食会で(偶発的に)結成された」という、かなり伝説めいた通説は、後年になって「1875年、アルバート・ホテルのアスレティックジムに集まったミドゥルズブラ・クリケットクラブのメンバーが話し合い、翌年結成された」と“修正”されている。
創立当時はもちろん“プロ”としてスタートしたが、なぜか1892年にアマチュアに宗旨替えし、その7年後にあらためてプロに復帰したという経緯も非常に珍しい。ちなみに、アマチュア時代の1895年と1898年には、アマチュアカップという大会で優勝している。極めつけは、近代に入った1986年にいったんは解散し(同シーズンにディヴィジョン2から3に降格)、すぐに再結成されて翌シーズンにD2復帰昇格、さらにそのまた翌シーズンにはD1(現在のプレミアリーグに当たるトップディヴィジョン)にスピード昇格をものにした事実だろうか。
■忘れられない97年の降格とFAカップ決勝
いや、まだある。80年代のマンチェスター・ユナイテッドやイングランド代表でアイドルエースとして鳴らした、あのブライアン・ロブソンが監督に就任した2年目の1995年、待望のプレミア昇格を果たすや、その翌々シーズンにはFAカップとリーグカップ(当時コカコーラ・カップ)の決勝にダブル進出(いずれも惜しくも準優勝)。ところが、あろうことかその同じシーズン、前代未聞の不運な降格の憂き目に遭うのである。両カップ戦でウェンブリーの晴れ舞台に上り詰め、リーグでは勝ち点で14位のウェスト・ハムと並んで終了したというのに、どうして?
実はミドゥルズブラ、故障者続出でプレーヤー・マネージャーのロブソンがマッチシートに名前を連ねていたにもかかわらず、ついにある試合でイレブンがそろわず規定によって放棄試合として認定され、そのことから最終的に順位を19位に下げられてしまったのだ。忘れてはいけない。当時のボロ(ミドゥルズブラの通称)には、英雄ロブソンを慕って集い来たジュニーニョ・パウリスタ、ファブリツィオ・ラヴァネッリ、モーゼス・エメルソンらのそうそうたる国際的スターがいたのである。
シーズン末尾を飾るFAカップ決勝でチェルシーに惜敗した直後、顔を真っ赤に泣きはらして悲嘆に暮れたラヴァネッリの姿は、昨日のことのように記憶に新しい。それは、リーグカップに続いてFAカップまであと一歩で栄冠に届かず、降格にしたがってやむなく退団の道を選ばざるを得なかった“白髪鬼”ラヴァネッリのひとえにヒューマンな熱い涙だった。ただし、イングランドがいたく気に入ったラヴァネッリはその後もダービーなどに新天地を求めて活躍したのはご存じの通り。
しかし、ジュニーニョ、ラヴァネッリらを失ったボロは一転奮起して翌97−98シーズン、D1で2位に入って1年でプレミア復帰を果たしただけでなく、2年連続でリーグカップ決勝へ勝ち進む。くしくもその相手は再びチェルシー(※前年の相手はレスターで、このときは再試合にもつれ込んでボロ敗退)。直前にスコットランドのレインジャーズから移籍したポール・ガスコインの“神通力”にも期待が集まったが、武運つたなくゾーラ以下けんらん豪華な傭兵軍団の前に0−2で敗れた。
<後編に続く>
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