浦和東高校卒業後、2001年に大宮アルディージャに入団。プロ3年目でレギュラーに定着すると、活躍が認められて名古屋グランパスへ移籍する。しかし、当時の日本代表GK楢崎正剛の壁は厚く、控えに甘んじる日々が続く。それでも能力の高さは誰もが認めるところで、名古屋で3シーズンを過ごした後、川崎フロンターレからの破格のオファーに応え、新天地を求めた。川崎では加入直後から不動の守護神として君臨。3シーズンにわたってリーグ戦全試合に出場するなど、タイトルレースを争うチームを支えた。
各年代で日本代表に選ばれ続け、02年にはU-19代表でAFCユース選手権で準優勝、03年にはワールドユース(現U-20ワールドカップ=W杯)でベスト8進出に大きく貢献した。アテネ五輪出場は逃したものの、07年にA代表初招集を受け、08年2月の東アジア選手権・北朝鮮戦で代表デビュー。控えGKの立場が続いたが、W杯・南アフリカ大会直前の強化試合、イングランド戦でファインセーブを連発し、一気に正GKの座をつかんだ。本大会では4試合すべてにフル出場し、決勝トーナメント進出に尽力。新守護神誕生を強く印象付けた。11年アジアカップでも正GKとして2大会ぶりの優勝に貢献した。
総合力の高さが持ち味の川島は、ハイボールの処理に優れ、正確なキックと足元の技術の高さを誇る。また、スーパーセーブでピンチを救うなど、気持ちのこもった熱いプレーで仲間を鼓舞する。
プロ生活を始めたころから海外志向が強く、将来の移籍に備えて語学の習得にも励んできた。W杯後の10年7月、ベルギーのリールスへ移籍。1部に昇格したばかりのチームとあって苦しい戦いが続いたが、最後尾からチームを支え、リーグ最終節での残留をつかんだ。その活躍が認められ、サポーターから「リールス年間最優秀選手」に選ばれた。