FCみやぎバルセロナユース時代、17歳でセレッソ大阪とプロ契約を結び、2007年にJ2でデビューを果たした。その後すぐさまレギュラーを獲得するなど、目覚ましい成長を遂げると、同年に行われたU-20ワールドカップ(W杯)に飛び級で参加。08年もJ2でのプレーが続いたが、U-19代表、飛び級でU-23北京オリンピック代表にも選出され、若くして国際舞台を数多く経験した。
08年5月、岡田武史監督から初招集を受け19歳でA代表デビューを飾ると、10月のUAE戦で代表初ゴールをマーク。これは史上3番目の若さで、一躍、将来の日本サッカーを背負って立つ逸材として脚光を浴びることになった。その後も、周囲の期待に応えるように好パフォーマンスを披露し、09年には大車輪の活躍でC大阪をJ1昇格に導く。ゴールへの意識が高まった結果、リーグ戦で27ゴールを挙げてJ2得点王にも輝いた。10年はJ1初体験となったが、11試合で7ゴールとあらためてその実力を証明。W杯・南アフリカ大会のメンバーには選出されなかったが、将来性を買われてサポートメンバーとして帯同した。
10年7月にドルトムントに移籍すると、プレシーズンマッチから活躍。レギュラーの座をつかむと、公式戦デビューとなったヨーロッパリーグのプレーオフ第1戦でいきなり2ゴールを挙げる。その後もドルトムントの快進撃を支える中心選手として高い評価を受け、ブンデスリーガ前半戦のMVPに選出された。しかし後半戦は、アジアカップ準決勝での右足小指の骨折というアクシデントにより、戦線離脱を余儀なくされた。それでも10-11シーズンは18試合に出場して8ゴールと、チームのブンデスリーガ制覇に貢献。最終節では後半終了間際から出場して復帰し、ドルトムントの熱狂的なサポーターを大いに沸かせた。
背番号10をつけて臨んだアジアカップでは、けがに見舞われて決勝戦を前にチームを離れたが、劣勢を強いられた準々決勝のカタール戦で2得点を挙げるなど、日本の優勝の立役者となった。ボールコントロールはもちろん、ドリブル突破から局面を打開する力や得点力の高さは誰もが認めるところ。今季はチャンピオンズリーグ、W杯・ブラジル大会の予選やロンドン五輪など、新たな挑戦の舞台が加わる。クラブや日本代表での飛躍が大いに期待される。