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小澤一郎
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スポーツナビ
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海外移籍 もう1つの道(1/3) サッカーライフ 第2回 カステリョンFW福田健二
2006年07月28日
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パラグアイ、メキシコでプレーしてきた福田。福田が通ってきた道は、新しい形の海外移籍でもある【 Photo by Ichiro Ozawa 】
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●●サッカーとともに人生を歩んできた人間にスポットライトを当てる「サッカーライフ」。第2回は、スペインリーグ2部カステリョン所属のFW福田健二を取り上げる。 千葉県の習志野高校から1996年に名古屋グランパスエイトに入団。その後FC東京、ベガルタ仙台を経て、2004年にパラグアイのグアラニへ移籍しリベルタドーレスカップにも出場している。05年よりメキシコリーグ1部のパチューカ、2部のイラプアトでプレーし、05年12月にスペイン2部のカステリョンに加入した。 日本人選手の“海外移籍”が脚光を浴び、華やかなスポットライトが当たる中で、彼が選んできた道はほかの選手とは異なっている。主流からは離れて着実に歩んできた道のりを、彼自身の言葉で確認してもらいたい。福田健二のサッカーライフを●●
■ベンゲル監督、ストイコビッチとの出会い
カステリョンでのトレーニングに励む福田健二【 Photo by Ichiro Ozawa 】
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●●福田が名古屋に入団した当時、チームにはベンゲル監督、ストイコビッチという世界の超一流の指導者、選手が在籍していた。彼らとの出会いがその後の福田のサッカー人生に大きな影響を与えたことは間違いない。それまでの彼の経歴をたどりながら、2人についてじっくりと話を聞いてみた●●
サッカーを始めたきっかけ
「兄貴ですね。保育園でサッカーができて、そのころから遊び程度ではありますけど、やってました。出身の新居浜(愛媛県)は、最近になって日本代表の福西さんが出て知られるようにはなりましたけど、それまでは県内では南宇和がサッカーどころでしたから、サッカーが盛んだったとはいえないかもしれません」
習志野高校時代
「入学のきっかけは、中学時代に所属していたクラブチームの指導者が、習志野高校でコーチをしていたからです。その関係もあって、そのコーチに引き抜かれたという形です。高校3年間はサッカー漬けでしたね。僕は下宿住まいで、ほかの下宿生も皆まじめでサッカー好きなやつが多かったから、自主的に朝練にも行ってましたね。うちの高校の練習は、本当にボールを使った練習ばかりなんです。一度、強化合宿に行った時があって、4日か5日間すべての練習がミニゲームでしたから(苦笑)」
高校時代までのチームメート廣山望
「初めて彼と会ったのは僕が愛媛から千葉に転校してきた小学5年生の時です。初めて会った時の印象は、こいつ『キャプテン翼』の翼みたいなやつだな、というものでした。あいさつで、『僕、廣山望、よろしくね!』みたいな感じでさわやかに言ってきて。そこから彼とは小中高ずっと一緒で、良きチームメートであり、良きライバルでした。負けたくない、という気持ちは常にありました」
名古屋グランパスエイト入団
「高校2年の終わりには仮契約していました。それ以降、いくつかほかのクラブからオファーもあったんですが、もう決まっていましたから。その当時、僕をスカウトしてくれたのが名古屋の監督も務めた平木隆三さんで、すごく熱心に誘ってくれました。また僕自身、グランパスのサッカー、ベンゲル監督やストイコビッチがいるチームにすごく魅力を感じていたのも入団の理由です」
ストイコビッチ
「ピクシーについては1回見ただけで、『ああ、この選手は一流だな』という“におい”を感じましたね。ボールタッチ1つ、ロングキック1つを見ただけでも、上品さがありました。彼からは、『とにかく俺がボールを持ったら、うまくDFをかわしてフリーになれ』と言われていましたし、『そういう動きをして俺からのラストパスやクロスに合わせれば、ゴールできるから』なんてことも言ってくれました。事実、そういうボールが本当に来るときがあって、驚いたこともありました」
ベンゲル監督
「カリスマですね。何か発言をする時は、いつも一言、二言なんです。練習中も口うるさく言うことはなかった。練習量もそんなに多くないし、練習が終わった時には、もっとやりたいという気持ちが残るくらいでしたから。今考えると、その点が彼の指導のうまさなんでしょうね。ベンゲル監督からは、『とにかく私はお前のアグレッシブさを評価しているから、どんどん勝負しなさい』と言われていました。マイナス面の底上げをするよりも、プラス面を伸ばしていくことで選手の特性を生かす監督だと思います。
ベンゲル監督は選手の特性を見抜くことにずば抜けていますね。いろいろなポジションに多くの選手がいる中で、頭の中であの選手とこの選手を組み合わせたらどうなるか、というのをシミュレーションし、それが現実に起こる確率が高い。 あとは、チームの輪を大切にします。輪を乱す選手はどんどんチームから外されていく」
FC東京への初めての移籍と環境の変化
「名古屋に6年くらいいて、居心地が良かった部分がありました。でも当時は、名古屋で出番も少なかったし、『このままずっとここにいていいのかな?』と自問することもあったので、良いチャンスだと思い移籍を決断しました。当時のFC東京の環境は今のように整備されていなくて、名古屋を出て初めて、恵まれていたんだなということに気付くことができました。自分が少し忘れかけていたことを取り戻せたような気持ちもありました」
<続く>
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関連リンク
・サッカーで世界に通用する人材育成を 06/03/28
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