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出村謙知 スポーツナビ

リリアン・テュラム、バンリューからの代弁者(2/2)
暴動騒ぎに揺れるフランスで


2006年04月26日

■サッカーこそが偏見をなくす最良の方法

イタリアでプレーしながらも、バンリュー問題に関して鋭い発言をし続けたテュラム イタリアでプレーしながらも、バンリュー問題に関して鋭い発言をし続けたテュラム【 (C)Getty Images/AFLO 】
 昨秋の暴動騒ぎによってクローズアップされるようになったバンリューは、前世紀末に頂点を極めたフランス・サッカーにとっては聖地と言ってもいい場所である。本稿の主人公テュラムをはじめ、前出のジダン、アンリ、それ以外にもシルバン・ビルトール、ニコラ・アネルカ、ウィリアム・ギャラスなど、多くの移民系フランス代表選手を生み出してきた。

 かつて英国に明確な階級社会が存在していた時代。労働階級の子供がその壁を乗り越えて成功者となっていく手段として夢みたのが「サッカー選手かロックスターになること」だと言われていたことがあった。
 60〜80年代の英国におけるロックに代わるものが、現代のフランス、ことにバンリューにおいてはワールドミュージックになるのか(古いか)、フレンチラップなのか(これも古い)、あるいは日本でも根強いファンを持つ英語で歌われるフレンチロックだったりするのか(マイナー過ぎ)は正直、分からない。
 一方、サッカーはサッカーのまま、当時の英国から現代のフランスに置き換えることが可能である。つまり、バンリューの若者にとっては、サッカーこそがフランス社会の中で成り上がっていく手っ取り早い手段だということ。
「サッカーをしていなければ、僕は間違いなく、あの騒ぎの中に身を置いていたはずだ」

 そんな認識を持つテュラムだからこそ、イタリアでプレーしながらも、バンリュー問題に関して鋭い発言をし続けたのだ。それが、どれぐらいの影響力を持っていたかは、サルコジ内務相が直接、話を聞かざるを得なくなったことからも容易に想像がつくはずだ。
「騒ぎを起こした連中を擁護するつもりはさらさらない。『あっちの連中が車を10台燃やしたらしいから、俺たちは11台火をつけようぜ』という幼稚で衝動的な行動があったことも確かだろう。ただ、平穏な社会を築くためには、そこに住む一人一人が平等であるということが保証されなくてはならない。郊外の移民というが、2世はすでにフランス人であるはずだが、その多くが高等教育を受けた後も仕事に就くことができないという現実は確かに存在する。まずは、フランス全体がその事実を知ることから始めなくてはならない。無知と、そこからくる恐怖感こそがレイシズムを進める。だからこそ、自分と異なる人たちのことを知ることが重要になってくる」

 そして、バンリューにおいては、サッカーこそが自分とは違う人種のことを学ぶ最良の方法であることにも、テュラムは確信を持っている。
「バンリューでサッカーチームに入る。そこでは、間違いなくいろんな人種と一緒にプレーすることになる。そうすることで、お互いのことが少しずつ分かるようになってくるし、サッカーをきっかけにして、ほかにもいろんな話をして、時には双方の家を訪ねたりもしながら、理解は深まっていくはずさ。バンリューにおいてはサッカーこそがいろんな人種について学ぶことができて、偏見をなくす最良の方法なんだ」

■テュラムが“最後のW杯”で目指すもの

 すでに2004年の欧州選手権終了後、いったんは代表から引退していたテュラムだが、昨秋の暴動騒ぎと時をほぼ同じくして、フランス代表への復帰を果たしている。その裏にはレイモンド・ドメネク監督、そして一緒に代表復帰を果たすことになるジダンからの強い要請があったことが明らかになっている。
「98年の再現にチャレンジしてみたい」
 ただし、それは単なる「再度のワールドカップ(W杯)制覇」という意味ではない。

 フランスで出版されているテュラムのバイオグラフィーには『1998年7月8日』というタイトルがつけられている。これは、フランスW杯準決勝が行われた日。クロアチアに1点リードされたフランスが、テュラムのまさかの2ゴールによって救われ、決勝進出を決めた”あの日”のことだ。
「1998年7月8日、僕は生まれた」
 それは、アンティーユからの移民であるテュラムが本国でフランス代表として認められた日だったのかもしれない。白人のデディエ・デシャン主将がいて、アルジェリア系のジダンがいて、ガーナ出身のマルセル・デサイーがいて、テュラムがいる。異なる人種が一つになることで、それまで一度も成し遂げられなかったW杯制覇を現実のものとしてみせた98年のフランス。それは、多民族国家フランスの勝利であり、移民たちの勝利でもあったはずだ。

 あれから8年。フランス代表の低迷に合わせて、「自由、平等、博愛」の国は異種混合国家の軋轢(あつれき)を認めざるを得ないような騒ぎばかりが報じられる場所になった感さえある。
「サッカーは社会に多くのことを語ることができる」
 そう信じるテュラムは、多民族国家フランスに新たなインパクトを与えるためにドイツW杯を現役生活の集大成にする。『1998年7月8日』に加えて、『2006年7月◎日』という新たなバイオグラフィーが書き加えるほどの活躍で、フランス社会を目覚めさせること。それが「サッカー選手でなければ教育者になっていた」というテュラムが“最後のW杯”で目指している到達地点である。

<この項、了>

(※注)新雇用契約=企業が26歳以下の若年層に対して、正規雇用ではなく2年間は研修生として雇うことを認め、理由なき解雇も可能にすることで雇用を促進させることを狙った政策。抗議運動の余波で、仏政府はCPE自体を撤回することになった。
 
出村謙知/Kenji Demura
1964年北海道札幌市生まれ。明治大学経営学部卒。英国留学を経て、明大在学中の87年よりメディア関連会社で取材記者として働き始め、主にリクルート、講談社などの雑誌、夕刊紙などで執筆。91年に独立。同年年末よりフランス・パリ在住。冬季五輪、ラグビーW杯、サッカー欧州選手権、FIFAワールドカップTMなどのビッグイベントを取材し、『サンケイスポーツ』『スポーツ・ヤア!』『Number』およびベースボールマガジン社の各専門誌などでスポーツ関連のフォト・ルポルタージュを手掛ける一方、旅行誌、ファッション誌、音楽誌などを舞台にも活動。現在は年に10回ほど日本と欧州を往復する日々。共著に『ラグビー最前線』『ラグビー百年問題』(共に双葉社)、『AB ROAD HOTEL COLLECTION EUROPE』(リクルート)など、写真著書に『英国パブの誘惑』(双葉社)などがある


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