コラム
23年前の記憶を呼び覚ますファイナルの舞台 (1/2)
中田徹のコパ・アメリカ通信
■地下鉄A線に乗って決勝の舞台モニュメンタルへ
かつてアルゼンチンの老人は、公園へ散歩にいくにもネクタイを締めていた。だから、長髪、Tシャツ、ジーンズで外出する若者を見ると、「最近の若い者は……」と文句を言っていたわけである。もしかすると、かつてパサレラがアルゼンチン代表監督を務めた時、長髪で有名だったレドンドに「髪を切らなければ代表に呼ばない」と忠告し、レドンドも素直に髪を短くしたのは、こうしたエチケットがあったからかもしれない。
この面影は、ブエノスアイレスの地下鉄A線に残っている。車両のドアの脇にある大きな鏡。老人たちはこの鏡でしっかり自分の身だしなみを確認し、それから地下鉄を降りていった。多少、鏡は古ぼけてしまったけれど、A線の地下鉄は今も昔も変わっていなかった。やはり懐かしかったのは木製の椅子である。僕が最後に訪れた23年前の時点で、すでにレトロな雰囲気満載の地下鉄A線だったが、それでも木製の椅子はしっかり手入れされていて、つやがあった。今の地下鉄に、そのつやはもうない。それでも、今も変わらずA線の鏡と木製の椅子が現役だったことに、うれしさを覚えた。
コパ・アメリカ(南米選手権)の決勝戦は、リバープレート(リーベル)のホームスタジアム、モニュメンタルで行われる。リーベルはボカ・ジュニアーズと並ぶ超名門チームだが、この6月、とうとう2部リーグへの降格が決まってしまった。実はリーベルが戦う入れ替え戦を僕もテレビで見ようとしていたのだが、時差の計算を誤ってしまい、現地のテレビをつなげた時には、リーベルの選手たちが円陣を組みながらわんわん泣いていた。やがて画像はスタジアムの周辺にスイッチし、サポーターが暴れている光景が中継された。警官は袋だたきにされ、スタジアムから火の煙が上っている。コパ・アメリカが開幕する1週間前のことだ。
モニュメンタルは相当な被害を受けたらしく、コパ・アメリカの期間中も「決勝戦はコルドバでやる」とか「モニュメンタルではやらない。場所はブエノスアイレス市内のほかのスタジアムだ」といううわさが飛び交った。しかし7月24日、決勝戦は無事、モニュメンタルで開催されることになったのである。
■鮮やかに蘇る23年前の記憶
一部の試合を除き、盛り上がりに欠けた今回のコパ・アメリカ。だが、さすがに決勝戦ともなると、スタジアムの周囲はウルグアイとパラグアイのサポーターで熱気にあふれていた。スタジアムにたどり着くと、チケット売り場が目に飛び込んでくる。その瞬間、過去の記憶がフラッシュバックのように蘇ってきた。23年前、リーベルの試合を観戦に来た時、まさにここで僕はチケットを買ったのだ。
チケットを渡された時、売り場の中にいた青年が言った。「カフェ、カフェ」。つまりコーヒー代=チップをくれという意味だったのだろう。何か、なめられているような気がしたので、僕は「ノー」と言ってスタジアムの中に入る。すると今度は、白いペンキで塗られた椅子席がまだ健在だったことに気付く。23年前だと、まずは係員にチケットを見せ、自分の席まで連れていってもらい、そして係員はぞうきんで丁寧に椅子をふいてくれたのである。当然、僕はチップを払った。
こうした記憶を蘇らせながら、僕はゴール裏のオーロラビジョンを見た。よかった。きれいな動画が映っている。昔のアルゼンチンは電力不足で、選手の名前と試合のスコアを知らせるだけの質素な電光掲示板は、試合中も消されたままだったのだ。
決勝戦のモニュメンタルからは、リーベルのサポーターによって荒らされた痕跡を見いだすことはなかった。時代はどんどん変わっていく。それでも、ブエノスアイレスの地下鉄A線とモニュメンタルの木製の椅子に、変わらぬことの贅沢(ぜいたく)さを感じ入ってしまった。
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