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負けず嫌いの少年がラグビーと出会う
吉田義人単独インタビュー第2回(前編)
2004年3月27日
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| 吉田がラグビーと出会ったのは小学校3年生の時だった【スポーツナビ】 |
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吉田義人という人間を知るために、あらためてその激動の選手人生を振り返ってもらった。ラグビーとの出会い、主将として日本一を経験した明大時代、世界と戦った日本代表、プロとして契約したフランス時代、決して恵まれた環境ではなかった社会人時代、そして引退……。第2回インタビューは、吉田とラグビーの出会い、そして吉田のラグビー人生で外すことのできない明大時代にスポットを当てた。
体を動かすのが好き、格闘技が好き
すべてが凝縮されたラグビー
ガキ大将の彼がラグビーを始めたのは小学校3年生のとき。最初のポジションは意外にもFW。足はそれほど速くなかったというが、出会った瞬間、「これだっ!」と思った。
――小学3年生でラグビーを始めたそうですが、きっかけは何だったのでしょうか
きっかけは、ボク、ガキ大将だったんで、学校でも常に5人、6人くらいの子分衆がいまして、放課後、「今日は何の遊びをしようか」とみんなボクのところに集まってくるわけですよ。あれは雪が降った1月か2月だったと思いますが、いつもはだいたいスキーに行くんですよ。裏山へ行って、けもの道をみんなで上から「うわぁー」ってすべるような。
ただ、その日は一人の友達が変な形のボールを持ってきて、「今日はラグビーしよう。ボクはこの間、ラグビースクールに入ったんだ」って言うわけです。それで「おもしろそうだな、教えてくれよ」ということで、仲間と田んぼに行きましたね。田んぼのサイズっていうのが、ちょうど小学生がラグビーをするのにちょうどいいサイズなんですよ。もともと体を動かすのが好きで、やんちゃで格闘技好きでしたから、ラグビーはそういう要素が凝縮されたスポーツだったので、もう無我夢中に日が暮れるまでやってましたね。
家に帰ったら、鼻血が出ていたらしいんですけど、寒いのでそのまま凍ってしまって、おふくろがその鼻血が凍ったままのひどい顔を見て、「どうしたのっ!その顔っ!」って驚いてました(笑)。だから、ボクが「ラグビースクールに行きたい」って言った時も、「あんな危ないスポーツはダメッ!」って言われました。「そろばんと習字の塾に行くならいいよ」という条件をおふくろに付けられて、結局、塾にも行ってようやくラグビースクールに入れてもらいました(笑)。
――そのときのポジションは
最初はロックです。小学生の頃は、成長が早かったみたいで中くらいでした。やんちゃで、常に人とぶつかり合うのが大好きだったんです。だからスクールに入った時、コーチにポジションを決められて「お前はロックだ」と言われました(笑)。
吉田義人を作った寒風山
負けず嫌いの少年は毎日走った

毎日、毎日走った吉田少年。根底にあったものは「負けず嫌い」だった【スポーツナビ】 |
中学時代、吉田少年は凍てつく山道を走った。雨の日も風の日も雪の日も。その走り込みが強靭な足腰、その後の活躍の土台となるスピードを生む。そしてこの頃、彼の持ち味である“ストイック”と“負けず嫌い”が早くも顔を出し始める。
――ウイングに定着したのはいつ頃ですか
ロックの後、小学校高学年になったら機動力があるというのが分かってくれたみたいで、フランカー、No.8になりました。その後、中学になったら、ウイングになったというか、まあ中学の時の話は長くなるんですけど、いいですか(笑)?
中学1年生のときに、ボク、椎間板ヘルニアをやってしまって、全然走れなくなってしまうんですよ。それで整形外科の先生に「どうやったら治るんですか」って聞いて、足の膝小僧が前屈をしてピタッと自分につくようになったら治ると言われて、それから毎日、休み時間の度に友達に10回ずつ押してもらって休みが5回ありますから50回、部活のときウォーミングアップのときに押してもらって1日100回くらいやってたんですね。そうしたら半年くらいで治すことができたのですが、クラブへ出たら、全然走っていなかったわけですから、一緒に練習をやっていた仲間についていけないわけです。クラブが終わった後は、普通みんな駄菓子屋へ行ってコーラ飲んだり、カップラーメン食べたりしてワイワイやるわけですけど、ボクは悔しくて、すぐ家に帰って、山道を走ることを毎日続けました。
――それがあの寒風山ですね
そうです、寒風山です。毎日トレーニングを続けていたら足が速くなりまして、それまでは学年で5番目くらいだったんですが、秋の大運動会でダントツに速くなっちゃって、男鹿市の陸上競技大会に助っ人で駆り出され、男鹿市の新記録を作りました。それからですね、ウイングでプレーするようになったのは。それまではフランカーだったんです。
――そうして秋田工へ進み、そのスピードで1年からレギュラーになってしまうわけですか
そうですね。
――では秋田工業時代の活躍は、寒風山のおかげ?
寒風山のおかげですね。
――どのくらい走っていたんですか
寒風山ってクラブの練習後は真っ暗になってしまうので、危なくて登れないんですよ。休みの日は常に寒風山に行って、平日のクラブの練習後は村を一周ですね。村も暗いので、弟に後ろから自転車でライトを照らしてもらって走ってました。それを1年365日、何があっても休むことなくやってました。
――そのとき吉田少年を駆り立てたものは何だったのでしょう
「人には負けたくない」という気持ちですね。負けず嫌い。悔しかったんですよ、部に戻った時についていけなかったのが……。<続> |
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