ハンドボール界の「生きる伝説」が戦い続ける理由 (1/2)
ソニーセミコンダクタ九州 BLUE SAKUYA 田中美音子
小学校時代、バレーボール部に所属していた少女は、中学校に入ってもプレーを続けるつもりだった。だが、本人いわく「ちょっと先輩たちが怖そうだったから(笑)」という理由で入部をあきらめ、教師に誘われるままハンドボールを始めた。「初めはハンドボールの『ハ』の字も知らなかったけど、がむしゃらにやっていくうちに、いつの間にか抜けられなくなった」という少女は、それから時を経て、日本を代表するハンドボールプレーヤーへと成長した――。
田中美音子(ソニーセミコンダクタ九州BLUE SAKUYA)、34歳。ハンドボールファンの中には、彼女を「生きる伝説」と呼ぶ人々もいる。その理由は、日本リーグの過去の記録をひも解けば、一目瞭然だ。
・リーグ通算得点=1076点(歴代1位)
・1試合最多得点=35点(歴代1位)
・連続試合出場=82試合(歴代1位)
・得点王=4回(歴代1位タイ)
・ベストセブン=11回(歴代1位)
主な記録をざっと挙げただけでも、その偉大さが分かる。本人は意外にも「記録には興味がない」とそっけないが、大柄な選手が多いハンドボール界で、身長161センチと体格面でハンデを背負いながら、抜群のスピードと緩急自在のプレーで存在感を示してきた。そして18歳からは、日本代表のエースとしても活躍してきた。
■「正直思い出したくはない」と語る日韓戦
ハンドボール日本代表の歴史において、2008年は決して忘れることのできない一年となった。北京五輪出場を懸けたアジア予選で、「中東の笛」と呼ばれる疑惑の判定が問題となり、ハンドボール界のみならず、日本中を巻き込んだ大騒動へと発展した。結果的に、前代未聞の予選やり直しが行われたものの、日本は男女ともに韓国に敗れ、五輪出場権を逃した。
日本代表として渦中にいた田中は、苦笑交じりに当時を振り返る。
「ハンドボール界にとっては、競技を知らない人たちにも存在を知ってもらえたので良かったのかもしれない。でも、(勝利という)結果が伴わなかった。嫌な思い出だけではないけど、正直思い出したくはない……」
日本女子代表にとって、五輪出場は悲願だ。1976年のモントリオール五輪にただ一度出場(5位入賞)して以来、30年以上もの長きに渡り、その道は閉ざされている。昨年11月に女の子を出産し、今現在は代表から離れている田中にとって、残されたチャンスは決して多くない。次回、ロンドン五輪までは3年。
「難しいですね(笑)。できれば目標にしたいですけど、(出産は)初めてのことなので先が見えないし、どれぐらい自分自身が戻れるのかも分からない。その前に、基盤のチーム(ソニーセミコンダクタ九州BLUE SAKUYA)が大事なので、まずはそこで成し遂げていない優勝をしたい。五輪で勝つためにも、まずは自分が向上しないといけないので、それが今の原動力です」
・ソニーセミコンダクタ九州 BLUE SAKUYA、悲願の初優勝を目指して (2009/6/30)
・ソニーセミコンダクタ九州 BLUE SAKUYA 公式ブログ (2009/7/6)
・Three GOAL×スポーツナビ+ (2009/7/6)



