“きずな”でつながれたもう一人のランナー
北京パラリンピック・陸上
■元五輪代表がガイドランナーに転進
「忘れ物を取りに行きましょう」――2006年の12月、知人の結婚式の2次会に出席した川嶋伸次は、ある男性から突然そんなセリフを言われた。それが、全盲のランナー高橋勇市との出会いだった。
現在、東洋大陸上競技部の監督を務める川嶋氏は、かつて日本体育大学時代に箱根駅伝で名をはせたランナーだった。大学卒業後は実業団の名門・旭化成陸上部に入部し、「ミスター駅伝」とまで言われた。その後、2000年シドニー五輪では、男子マラソンの日本代表に選出。しかし、メダルを狙った本番のレースでは、2時間17分21秒で21位と不本意な結果に終わっていた。
「僕がシドニー五輪に出たときに全然ダメだったので、あんな生意気なことを言いやがって(笑)。『じゃあ行きますか?』って感じでしたよ」(川嶋氏)
それから約1年半、アテネに続く2連覇を目指す高橋のガイドランナー(伴走者)として、川嶋氏は北京パラリンピックのメダルを目指して共に練習を重ねてきた。
■スタジアムの雰囲気に「鳥肌が立った」
盲人マラソンでは2人のガイドランナーがつく。川嶋氏が担当するのは後半の約20キロ。17日のレース当日、引継ぎ地点で高橋を見た川嶋氏は、すぐに異変を感じたという。
「はっきりした順位は分からなかったけど、おそらく10番前後で、タイム的にも遅いなと思った。疲れて遅いペースになっているから、一気にペースを上げることもできない。そのままのペースを維持していくのが精いっぱいでした」
結局、トップの選手から遅れること約13分、二人は2分43秒38の16位でゴールした。
「こんな舞台で日の丸をつけるなんて、もう絶対にないと思っていた。できればメダルか入賞したかったので、ちょっと残念でしたけど。僕にとってもいい経験になったし、スタジアムに入ってきたときには鳥肌が立ちましたね。久々だなあと(笑)。あっち(高橋)は悔しいでしょうけど、こっちは楽しませてもらいました」(川嶋氏)
盲人ランナーと伴走者をつなぐロープは“きずな”とも呼ばれる。北京での結果は、決して満足のいくものではなかった。しかし、二人のランナーのきずなは確実に深まったはずだ。
「今回感じたのは、高橋さんも年齢が上がってきて、全体的に(体が)重たくなっている。本当にやるんだったら、もうちょっとその辺もきっちりトレーニングしていきたい。中途半端ではよくないと思う。世界との差を感じたので、高橋さんと話をしながら、何とかしなきゃいけないですね」
4年後のロンドンで再びメダルへ挑むために、川嶋氏のサポートはこれからも続いていくだろう。
<了>



