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PRIDE.23





第8試合
× 高田延彦
(高田道場)
2R 1分00秒
KO
(右フック)
田村潔司
(U−FILE CAMP)




選手プロフィール


高田延彦
 1962年生。神奈川県横浜市出身。183センチ、98キロ。高田道場。1997年10月11日「世紀の激突」とうたわれたPRIDE.1のヒクソン・グレイシー戦では、プロレスラーの誇りを賭けて挑むも、、一敗地にまみれる。その後はヒクソンとの再戦を経て、マーク・ケアー、イゴール・ボブチャンチン、ホイス・グレイシーといったトップファイターと激闘を展開。プロレスラーがバーリ・トゥードで戦う道を切り開いた先駆者としての功績は計り知れない。PRIDE.11のボブチャンチン戦以降、沈黙を保っていたが、PRIDE.17のミルコ戦に、「藤田を倒したミルコに対してプロレスラーが誰も手を挙げないのは情けない」と、名乗りをあげファン・関係者を驚かせた。そして前大会のPRIDE.22のリング上で、今回がラストマッチであることを表明。最後の相手が誰なのか、大いに注目が集まっていたが、ついに田村との対戦が正式決定。最後の戦いに、その生きざまのすべてを賭ける。

田村潔司
 1969年生。岡山県岡山市出身。180センチ、87.5キロ。U-FILE CAMP。1989年5月、対鈴木実戦でデビューを果たす。第2次UWF、UWFインター、そしてリングスと戦いの場を移しながら、独自の格闘美学に基づいたファイトで人気を博す。95年12月にはK−1のリングでパトリック・スミスと対戦し、見事に勝利。97年にはイリューヒン・ミーシャ、前田日明を倒し、初代リングス無差別級王座に就いている。翌98年に前田が引退してからは、名実ともにリングスのエースとして活躍したが、2000年にリングスを電撃退団。そしてPRIDE.19でPRIDEのリングに初登場。そのPRIDE.19ではシウバのベルトに挑むも、シウバのパワー溢れる打撃の前に敗れ去っている。しかし今年9月に行われたDEEPでの美濃輪育久戦では、華麗な動きで美濃輪を圧倒。改めてその実力を見せつけた。今回の高田戦で、孤高の天才がどんな戦いを見せるのか、注目が集まる。

試合経過


 高田の新日本での写真、UWF、PRIDEでの激闘が大型スクリーンに映し出される。ヒクソン・グレイシー戦での敗戦、コールマン戦、ボブチャンチン戦……。そして最後にただ一度行われた田村との一騎打ちの模様、「僕と真剣勝負をしてください」と叫ぶ田村のビデオが流された。

 先に青コーナーの田村の入場。赤いキャップに赤のTシャツ姿。右手に小刀を握ってリングイン。セコンドには元Uインターの宮戸の姿。キャップを取ると、まるで新弟子時代のように丸坊主に刈り込まれた頭。いつものように四方に深々と礼をする。

 7年越しの試合を格闘人生22年のラストマッチに選んだ高田は、新調した虎のガウンで花道に登場。深くかぶったフードを、リング上で取り、田村を一瞥した。高田の両ひざと左ひじ、右足首には分厚いテーピング。前々日のルールミーティング時に浮上したグローブ問題は、田村側の要望がとおり、従来のPRIDEで使用しているグローブよりも約1.5倍厚みのある特製グローブで行われることになった。

1R レフェリーはUインター時代同様、和田良覚。中央で目を合わせず、握手を交わした両者。ついにゴング。静かな立ち上がり。ファーストコンタクトは、田村の左ローキック。高田が左ローを返すと、すかさず田村がワンツーで攻め込む。間合いを取った高田が繰り出した右ハイは空振り。左ローから右ジャブを放つ田村。さらに徹底して左ローを当てていく。田村の右ローが、高田の股間に入り、タイムストップ。高田は額に脂汗を流し、なかなか立ち上がることができない。

 自然発生的に沸き起こる「高田」コール。田村はコーナーでうつむき微動だにしない。高田が立ち上がり試合再開。なおも田村は左ローを連打。しかし深い追いせず。高田は単発でパンチを放つも、懐に入れず。田村は踏み込んで左ロー。徐々に高田の右足が流れるようになる。高田は意を決したように、強引に踏み込むとワンツーからパンチの応酬。さらに前進し、田村を押し倒すようにテイクダウン。上を取るが、今度は田村が上を取り返し、ついに拒否していたパンチを打ち込める体勢となる。しかし、なかなか「殴れない」田村。高田は下から「来い」とでも言うように細かいパンチを打ち込んでいく。スタンドで再開となったところで1Rが終了。

2R 素早い左ローを放つ田村。高田が一気に間合いをつめてパンチのラッシュ! 右ストレートを打ち込んできたところに田村がカウンターの右フック! これがまともに高田の顔面をとらえ、高田はもんどりうってダウン! 田村はこれを深い追いせず。和田レフェリーが失神した高田に抱きつくようにして試合を止めた。高田の引退試合は22年間の現役で初となる壮絶なKO負けとなった。

 高田が倒れたまま、動かない姿を見て、田村は試合を終わらせてしまったことを後悔するような表情でひざまづき号泣。そこに意識を取り戻した高田が歩み寄り、抱きしめると「ありがとう」と言葉を掛け、田村の手を挙げた。田村はマイクで「ご迷惑をかけてすいませんでした。夢と感動を与えてくれてありがとうございました。お疲れさまでした」と頭を下げると、高田は「嫌な役、引き受けてくれたよ。田村、男だ。ありがとう」と思いを語ると、「最後は桜庭がいます。応援してあげてください」と言いリングを降りた。

 リング下ではかつての師匠アントニオ猪木が高田を迎えた。猪木はスーツのジャケットを高田に羽織らせると、高田は花道を逆に引き上げていった。花道の入り口では泣きながら待っていた桜庭が。2人はしっかり握手を交わし、高田は引き上げていった。


コメント



(リング上でのコメント)

田村 (泣きながら)「まず、高田さん、ありがとうございました。そしていろいろ温かい目で見ていただき、ご迷惑をかけてすみませんでした。正直、何を言っていいか分かりませんけど、今日、引退される実感がないです。最後に22年間、夢と感動を与えてくれてありがとうございました。お疲れ様でした」

高田 「一言だけ。田村潔司、よくここに来てくれたよ。よく嫌な役回りを引き受けてくれたよ。お前は男だ。ありがとう!」(観衆に向かって)「負けた自分が言うのもカッコ悪いんですけど、今日は、PRIDE応援ありがとうございました。自分は試合が終わりましたけど、まだ試合は終わっていません。最後は桜庭が締めます。がっちり応援してあげてください!」



■高田 「22年間、上出来だった」

 まずは僕から一言。22年間大変お世話になりました。今日をもって、戦いというフィールドから降りる決意で、この会場にきましたけど、まぁ、無事ではないんですけど、正式に引退ということになりました。本当に皆さん、ありがとうございました。

――今の気分は

 う〜ん、すっきりしたと言えば、すっきりしたし。やれることはやったので。自分自身に対しては納得しています。

――22年間の締めくくりとして今日の試合の出来はどうですか

 上出来です。

――十分、燃え尽きれる試合でしたか

 そうですね、自分なりに精一杯の自分を作ってリングに上がって、リングに上がれば、何が起こるか分からないので、まぁ、相手もいきのいい選手ですし、これから辞めていく人間が勝てるようなそんな甘い世界ではないというのを改めて最後に、PRIDEのリングは厳しいリングだと再認識できたので。やっぱりオレがやっていたことは間違ってなかったな、と。PRIDEはすばらしいリングだ、と。

――田村選手と戦ってみてどうでしたか

 見てのとおりですね。彼はオールラウンドプレーヤーだし。打撃もうまいし、グラウンドももちろんうまいですよ。印象というよりも自分のことで精一杯で、自分をどれだけ動かすか、しか考えていなかったですから。それだけですね。

――頭で描いていた動きと、実際の動きでどれだけ違いがありましたか

 そうですね、自分自身に限界を感じているから辞めるのであって。引退試合をあえて、こういう形でリングに上ってくるというのは、それだけの覚悟は持っていなければいけないし。まぁ、さっきも言ったようにやるだけのことはやって、出た結果ですから。良しとしなければいけないですよね。

――途中、金的のアクシデントがあったんですけど、どうでしたか

 あそこで止めたらブーイングがくるから(笑)。でも3分くれるというので、3分の間でも会場の雰囲気が敏感に伝わってきたので、止めるという意識はゼロです。何とか続けなければいけない、というか、続けることしか考えてなかったですね。

――逆に田村選手がガンガンこれなくなるとは思いませんでしたか

 うーん、あれがあったからではなくて、彼なりに複雑な思いを持って上がったと思うし、だから僕はよく上がってきた、と。難しい背景の中で、引退試合の相手に上がってくるというのは、非常に勇気がいることですから。

 まぁ、でもこれもドラマですから。中途半端な負けではなくて、勝負がついて良かったな、と思っています。

――試合が終わった瞬間の気持ちは

 終わった瞬間は分からなくて。ラウンドの間かと思ったんだよね。一瞬、周りにうちのセコンドの顔が見えたので、あれっと思ったら、少し意識が戻ってきて、状況が見えてきた、と。

――フィニッシュの瞬間は

 ぜんぜん覚えていないです。

――22年間は長かったと思うんですけど、涙みたいな感慨はなかったですか

 今、泣いてきた。今、リングで、ぼろぼろ涙こぼしてきました。

――かつてのUインターの仲間に囲まれたというのがあったんですか

 まあ、それもあるし、PRIDEの最初のヒクソン戦から携わってきた人たちが、ずっとお付き合いがあったので、最後にその人たちが、お客さんがいなくなった後で、リングで、ちょっとセレモニーがあって、感無量のあまり、たっぷりと涙をこぼしてきましたけど。

――10カウントのセレモニーとか別にされるんですか

 いや、しないですね。セレモニーは一切ないので。この試合が僕にとってのセレモニーですから。普通のセレモニーが嫌で試合をやりました。

――試合が終わった後、大歓声の中、どんな心境で花道を歩きましたでしょうか

 ボーとしていたんですけども、何となくこの花道も、歓声でも、ブーイングでもいいですよ、パンツ一丁で歩いて帰ることができないな、と改めて実感しましたね。ファンの人たちにも手を振ることもできないんだな、と実感しました。でも悔いはまったくゼロです。悔いはありません。

――最後、花道を帰って桜庭選手には何と言われたのですか

 「後は頼んだ、最後をしめてくれ」と。あそこまでいって、あの状態で、どれだけの重圧のプレッシャーを背負っているか分かりますから、勝って当たり前の中、今日もきれいに極めましたけど、非常によくやってくれましたね。

――花道を歩くのは自分で考えられたんですか

 イベントの方が。本当は勝ってね、そっちに行きたかったですよ。

(立ち上がって「ありがとうございました」と一礼をして会見場を去った)


■田村 「きれいな形で高田さんを送り出せた」

――今のお気持ちは

 最後、セレモニーとかできたので、すべて興行自体が終わったので、そんなに大きなけが人もなかったので良かったホッとしています。

――試合中に迷いは

 ありました。

――その迷いとは

 一言では言い表せないですけど……。いろいろな意味でお世話になった方で、憧れていた人であり、まさかこういう形で試合をさせていただくとは思わなかったので。オファーをいただいてからも何か吹っ切れなかったので。高田さんの引退もそうですけど、高田さんと自分がやるのも信じられなくて。結局は……(迷いは)性格だと思います。

――ローブローの時は何を考えていましたか

 何も考えなかったです。

――出場するには今日は勝ちたかったですか

 勝ちたいというのは気持ちは正直……。勝ち負けより……。何か複雑ですね。リングに上がってどういう形になるのか、という葛藤もあったし。

 最後、Uインター出身がリングに上がって、高田さんを送り出せたのですごい満足しています。

――最後のカウンターは反射的なものですか、狙っていましたか

 ローで倒れたかもしれないし、ストレートで倒れたかもしれないし。関節を仕掛けるときは微調整がきくんですけど、打撃は0か100になっちゃうので。

――グラウンド状態でパンチはありませんでしたよね。何かをためらっている感じがしたんですが

 対応はするつもりだったんですよ。やはり高田さんのほうが腕を押さえて、自分が打てなかったというのが正直な感想で。(高田さんが)打たせなかった、というか、打たしてもらえなかった。

――高田さん以外の人なら打てましたか

 うーん、どうなんですかね、難しいな。きれいな形で興行が終われたので、それで十分かな、と思います。





  


  


  


  


  


  


  


  



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